自分を知って

おはようございます。

2月は逃げる、実感。古人は洒落てますね、言葉で笑い飛ばす、だが懸命に生きている、責任を他に転嫁しない、だからこそ洒落も生きてくる。
責任のない人間がいくら冗談を言ってもホラにも成らず寒気が走ってしまいます。生真面目に生きていればこそシャレにもなる。
私の生まれ月はこの2月、大体が他の月に比べれば数が足りていない、私の頭も足りないのは当然一人納得している、言い訳で笑い飛ばす。
言い訳は何とでも着く。貧しくとも他のせいにしないで「何とかなる」と考えて明るく過ごすのと、他のせいにして何とかならぁ〜なと責任を転嫁して「暗く過ごすのとでは」大きく人生は違ったものとなる。
結構私は人と比較して生きてきましたから、多くの現実を肯定し受け入れてきました。受け入れてきたからと言っても「悲観しない」。
現実を当然と思って受け止めている、そして明るく生活する。お金がなかったときも、物が無かったときも自分で言うのもおかしな話でへそで茶を沸かしますが私がお金を持っていないとはほとんどの人が思っていないのではないでしょうか。
お天道様と米の飯はついて回る。御大師様は「道心の中に衣食あり」と。だから真面目に気張る。
お金や物も大事は十二分に知っています。しかし「依存はしていない」。大体が日数の少ない月に生まれたのですから、少なかった日数は自分で作るしかない、知的能力も身体能力も人とは比較にならないくらい足りない、自分で努力するしかないと「諦めている」のです。
人間諦めれば事が早い、行動在るのみ、あきらめが肝心。
だから何をするにしても体に苦は感じたり眠いと思うものの精神で苦に感じることは無く、当然のこととして、夜は昼の余り、お昼時間は他の時間の余りと考え、24時間を30時間にも40時間にも使って生きた。
遅い人間が早い人間と同じになるわけではなく、早く歩き始めることで目指した目標に着くことを知っただけ。
尊敬はしても人を羨んだことはありません。凄いな〜とは思ってもねたんだこともありません。
ですから私には楽しいことがいっぱい。尊敬する人が多く、凄いなぁ〜と感心する人が多いからです。
愚かであるのに他を譏る愚かな人間になりたくはなく、馬鹿でも愚か者になりたくはない。
愚かとは区別のつかないこと、道理は分からなくとも区別くらいはつく。
卑下することなく、尊敬する人、凄い人を見て笑い飛ばし、何で俺にはこんなにもお手本となる人が多いのだろうとこれまた笑ってしまうのです。
笑うというのは人を馬鹿にして笑っているのではなく、人の素晴らしさが愉快。人というのは何でこんなにも素晴らしく凄いのだろうという爽快感。
尊敬する人、凄いと思う人のお陰で愚図な私が目標とできる、こんな愉快なことはありません。
天は私を日数の足りない2月に生んでくれたことを感謝しているのです。そしてこの2月で一年の調整をしていることを思えばこれまた愉快ではないですか。
「小魚呑大魚(しょうぎょ、たいぎょをのむ)」小さい魚は大きな魚に食われてはいるが、小さい魚がいなければ大きくはなれない。
私の存在も何かの役には立っていることを思えば呵々大笑(かかたいしょう)、愉快なことです。だからこそ真面目に明るく楽しく生きる。
愚痴と不平を言ってお金や物が沢山入ってくるならお経の代わりに何万回でも私は真剣に唱えるでありましょう、楽しくない顔をした人間に福の神はもちろん貧乏神も寄っては来ないのです。
貧乏神の寄ってくるところは富み栄える兆のある人に寄ってくるのですよ皆さん、貧乏を楽しめない人は福の神が来てもわからないのです、だから福の神も居着かない、上手くできていますね〜。
今年の2月は1日多いから何か得をしたような気分、明日がある〜さ♫明日がある〜ですよ皆さん。だからこそ今日を精一杯です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌