志は高く、姿勢は低く

おはようございます。

昨日の宇治は雨も上がり風が強かったもののいいお天気でした。桜の花吹雪が幻想的に舞い上がり何ともいえない風情、美しいものは散る姿も美しいものです。
今日から再び新入社員の皆様の研修が二泊三日であります、名古屋から来られるのですが、一社で75名という沢山の新人の皆さんの研修です。
再来週はやはり一社で180名、これだけの皆さんを採用するというのは大変です、人数の多少ではなく育てることは大変なこと、頭が下がります。
ありがたいと思わなければいけません。
私たちは生まれてから生涯を終えるまで人様のお世話になるばかりです。お互い様といえばお互い様ですが、やはり感謝しなければなりません。
新人の方にばかりではありませんが、皆さんに私はこのようなことをお話しします。
「志は高く、姿勢は低くという話し」です。今日はこの話。
何故志を高く持つ必要があるかと申しますと、「争わなく」なるからです。そして「志を実現することとなる」のです。
一つの故事を書きます。中国古代に漢の国を作った劉邦(りゅうほう)の大将軍として名を馳せた韓信(かんしん)。「韓信の股潜(またくぐ)り」という有名な話。
「《韓信が、若いとき町でならず者に言いがかりをつけられ、耐えてその股をくぐったという故事から》大望をもつ者は目先のつまらないことで人と争ったりしないことのたとえ。」となったのであります。
韓信は後に「背水の陣」という稀代の戦術を編み出したことでも有名です。
知識、技術とは何だったのでありましょう。「己を知ること」であります。確かに自身を知ることです。
韓信は自身を知っておりました。町でやくざ者に因縁を付けられ喧嘩をふっかけられた、素直に謝ったのですが許してはくれない、
許してやる代わりに「股をくぐれと言われたのです」。そして衆人環視の中「股をくぐった」のです。
何故衆人の中で恥をさらしてまでも股をくぐったのでしょう、それは「己を知っていたから出来たこと」です。
理性と感情、どちらが強いのでしょう、もちろん「感情」です。長い人生「耐え難きを耐えなければならないときはあるのです」。そこで感情の思うに任せて「自分を見失うことがあってはならない」のです。
韓信は相手と争って「負けることを知っていた」のです。負けることくらいはいいのです。このようなことで「命を落としては犬死にだということを知っていた」のです。
志を達せぬままに「大望を失ってしまうことを恐れた」のです。
これこそ「真の勇気」です。
勇気は自分の志に向けて発するもの、相手に対して向けるのは「怒り」です。怒りからは何の益も得られないのです。
韓信はこの時期には項羽という将の一兵として働いていたのです。この後、項羽の本を去って劉邦の本に行き、大将軍としての才能を見いだされ、漢という国を作る一番の功績を残すこととなったのです。
「志は高く、姿勢は低く」。これは私の「在り方」です。是非皆さんも志を高く持って人生を確立してください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌