私たちには借りがある

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございました。来月も26日です、予定をしっかりとしてご出席ください。
世間では大型連休、しっかり忘れていました。そんな中昨晩はご出席いただき嬉しいことです。
良くありませんね〜私は、休みがありませんので、その固定観念、人様の都合を考えない、私の欠点。一年中月曜、反省しております。
弟子に休みをあげられないことが心苦しいことの一つ、弟子には「借りを作るだけ」です。
「借りを作らない話、借りは返さなければならない話し」。
沢山の借りが私たちにはあります、こう考えて丁度だと思っています。毎日仕事が出来ていること自体借りでもあります。お陰様といっても良いでしょう。
このように考えて感謝しておられますか、皆さんは、いかがでしょう。自分の力だ、などとは思っていないでしょうね。卑屈になる必要はありませんが、お陰様だとは思うべきです。
世間様があることで仕事が出来ている、仕事をする能力があっても仕事自体がなければ「能力の発揮のしようがない」のです。
こう考えれば少しでも上手く、早くそのことで借りを返すのだという思いで仕事をするくらいの気概は必要なのです。そう「恩返しでもあるのです」。
させていただく、買っていただいている、その思いがお返し、「お返しの精神がサービスの向上」となるのです。
繁盛させたい、繁栄させたいと願いながら思うようにならないのはこの「お返しの気持ちが足りない」のです。
仕事はイーブンだ、五分五分だと考えてはいけません。
人間は平等ですが、平等と考えたときから「気づきは失われる」のです。そして人様に「お返しする気持ちにも気づかなくなる」のです。
誰しも当たり前だなどと思って仕事をしている人とは仕事はしたくはないでしょう。やはりお陰様、と思って謙虚に少しでも役に立とうと考えている人と共に仕事はしたいものです。
心のゆとりは何によってもたらされるのでしょうか、それは仕事が豊富にあることです。孟子は「恒産無ければ恒心無し」と言っております。
仕事が無くなれば心のゆとりさえなくなるということです。私たちのゆとりは「仕事があるからこそ」です。
このように真理を見極めることが出来れば後は簡単で道理に基づいて人と接することが大事なのです。
平等だと勘違いせず、借りを返す、お陰、恩返しと思い人様と接し、仕事から自分の能力が高められることを思うことです。
大型連休の間、どうぞお寺に来て静かに坐禅でもして自らを反省してみてください。お寺は年中大型開業日です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌