心の中にある喜びに目覚める

おはようございます。

暦通り今日もお仕事の方は多いのではないでしょうか、新しい風の吹いた4月も三日を残すだけ、明日は昭和の日で休日、しっかりお仕事ください。
休日にお寺で過ごされる方も多くあります。もちろんお寺に休むために来られるわけではなく修行です。
「終わりのない世界に喜びを感じ覚る話し」。
修行に来ていただきお寺ではお経を読むほか、ほとんど作務(さむ、掃除)を行っていただきます。
作務を徹底的に行いますと何が見えてくるかと申しますと、「無心の喜び」、「無為の喜び」です。言ってみれば「仕事そのものの喜びを感じる」ことです。
評価ではなく「人様に喜んでもらい自分自身が喜ぶことに気づく」のです。仕事も、作務も終わりがありません、永劫です、永劫だからこそ「繁栄が続く」。
評価を受け「自分の喜びとする受け身ではなく」、きれいに、美しくなったことを喜ぶ「主体的な喜び」、この喜びを体にしみこませますとモチベーションが落ちなくなるのです。
どんな状況に陥ったとしても夢、希望を失わなくなる自分と出会い完成されるのです。
まさかと思うでしょうが「人生の行動力は実践のトレーニングから生まれる」、実践から養われることは良く皆さんご存じのハズです。
「経験して嫌になる、体験して楽しくなる」ということです。ましてや仕事での経験で落ち込んだり、引っ込み思案になったり、やる気になったりです。
庭を掃いたと思ったら直ぐ落ち葉は落ちてくるのです。そして又掃く、その繰り返し。
作務とは掃除や仕事を終わらせるのではなく、「行うことに喜びを覚る」ことにあるのです。
そして前よりは今が「きれいであるように」と、今よりも「次が」という具合に「やることに喜びを感じていく」のです。「仕事も同じでしょう」。
世の中を見廻しますと経験をして「豊かになっていく人と」、経験して「心貧しくなっていく人が」出来ます。
同じ事をやるから「次はもっと」と考える人と、あぁ〜又同じかと考え次に「手を抜いてしまう」人です。
経験体験から「進化が生まれ」、そして「堕落も生じる」のです。
仕事に喜びを感じることを感じないままに評価を望んで自分の人生に自分でやる気を失う、おかしな話だとは思いませんか皆さん。
確固たる信念を確立して社会に踏み出しましたか?、いわゆる「覚悟」です。「この意識で、この知識で、この技術で」ということです。
意識もなく、知識もなく「感情だけでは駄目」なのです。
それを持たないままに評価をしてくれということ自体がある意味では「甘い、引っ込み思案」となり、「行動しない自分を作る」ようになるのです。
人の評価ではない、自分が自分で感じる喜び、不退転の気持、「覚悟が出来る作務」、休日の時、体験修行に来てみてください。
明日愛宕寺では「花祭り」午後2時からです、お釈迦様のお誕生を祝福し、ピカピカの新一年生の未来を祝福します、皆さん是非お参りの上祝福をして上げてください。
人の喜びを喜びとする心から繁栄が生まれます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌