耳年増にならない

おはようございます。

今日は昭和の日で休日、お休みの方はゆっくり休まれていることでしょう。
本音を言いますと実は朝寝坊は大好きです、旅行などに行ったときは朝寝、朝般若、朝湯、小原庄助さんになったようにするのが大好き、しかしそのような機会はあまりありません、人生は大概このようなものでしょう。
良い思いをすればその分取り返さなければならないのが人生、夢を見ている中が花ですかね〜、夢を見ていることにします、分相応ということもありますから。
人間年を重ねてきますと実際にやっていなくとも何か自分でもやれそうな気になるから不思議。
ゴルフ中継を見ていますとタイガーウッズは余りにも簡単にやっていますので自分でも出来るような錯覚がする、このような気分です。
いわゆる「耳年増、目年増」になる。
「耳年増になって失敗しない話し」。
私たちは様々な情報を日々目にしたり、耳にしたり、噂を聞いたり会話をしています。
そこで気をつけなければなりません、見たり聞いたりしていることが「出来ると勘違い錯覚しないこと」。
私たちは会話は誰とでも良くできます、そしてその中で気づくことも多くあります。会話の中から気に入った言葉を自分のものとすることも出来ます。
ここで要注意です。
言葉を自分のものとするということは「実践する」こと、だということに気づかねばなりません。
思いはとても楽しく心を喜ばせ弾ませます、思いの喜びがあればこそ行動ともなるのです。しかし行動もせずに話だけに喜びを感じてしまう人も多くあるのも事実。
私たちの心理、心の内の理屈は「常に正しく」あります。どこを採っても間違っていない。自分の思いは成功への道筋をまっすぐに示している。
ですが現実では成功への道筋にまっしぐらとは行かないのも事実です。
この二つ、心では成功へまっしぐら、現実ではそうは行かない。この両極に対したとき何を思うべきでしょうか、状況に応ずる「判断」です。
自分の思いは確かでも、思いを達するには人様を「通して達せられる」という「事実の認識、判断」が必要です。
意思の疎通を図ることです。自分の思いが正しいのと同じく人の思いも正しいのです。
会話が弾むのはなぜでしょう、「キャッチボールがなされている」からです。キャッチボールはどうして出来ていくのでしょう。
簡単なことです、相手が「受けやすいように投げる」です。「相手の利を考える」、「気を外さない」、「気を合わす」ことです。
これが意思の疎通です。自分の考え方、思いだけでは事はならないのです。
対人関係が上手く行かない、最初は上手く行っていたのだが続かない、このような人間関係の話を良く耳にします。
それらは一様に自分の思いだけが正しいという概念で話しているのです。そのような人の意識が「耳年増」となっていることに気づくべきでしょう。
私の言っていることは正しい、間違いがないという思考です。その通りです、言葉は常に正しいのです。しかし正しい言葉が通じないのは「思いやりの無さ」から生じているのです。
耳年増になっている人の多くは言葉に対しての理解力は素晴らしいものがありますが、しかし人の心を思いやるという「人情をうかがい知る」ということが少し足りないのかも知れません。
今日午後二時から愛宕寺では「お花祭り」を行います。お釈迦様のお誕生を祝福し、ピカピカの新一年生を祝福させていただく行事です。
自分の知識、スキルをしっかりと人様に受け止めてもらうために何が大切かと言いますと、一つには人様の素晴らしさを賞する、愛でる、という心が必要です。
心から人様の喜びを喜びと出来る心、これが在ることが多くの人と素晴らしいキャッチボールが出来るようになり、情報を得ても耳年増にならず、失敗も防ぐこととなるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌