活気

おはようございます。

今朝は下関、昨日心華寺の早朝護摩を済ませ7時半前に出て通勤の皆さんの毎日のご苦労を肌で感じお昼前に愛宕寺に、新幹線のホームはビジネスマンの方であふれていました、忙しくしている姿を見るというのは活気があっていいものです。
明日24日、愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」、午前10時からです是非お参りください。
人様の忙しく動いている姿を見るのはとても好きです、「働くに追いつく貧乏無し」、活気を感じる人からは小僧時代を思い出し又活力となります。
「活気の話し」。
活力、活気、私は弱虫な幼少年時代を過ごしましたので元気な話、剣豪小説が好きです、それと活気を持って仕事をしている人が好きです。憧れもあります、今でも「活気のある人間になりたい」と人を見て思うのです。
活気のある人は大抵人生の途中の結果にこだわっていません、自分の「未来、生涯を信じているから」です。
26日の小倉の「にんげん学」講座は現在論語を講義していますが、孔子は活気を生涯失わなかった人でもあります。
未来を信じるということは途中の結果云々ではありません。だから活力を失わない。活気は「素直」と言っても良いでしょう、人は「一途な人を好みます」、純粋であること楽観的であることです「成る」事を信じている。
活気のある人は結果にこだわりませんから「優しさもあります」、人に親切も出来る。人間働かなければ生きてはいけません、「お互い様」、それならば互いに楽しくあるべきです。
上手く行くときもあれば、行かないときもある、当然です。このことを知っていますから、活気、活力を無くさないのです、失敗や上手く行かなくて「ウジウジ、イジイジ」していれば誰も相手にしないことも知っているのです。やる気を失った人はどうすることも出来ないのです。
「人に強がらない」ことを私は生き様としてきました。突っ張って短気を起こしても何の益もないからです。
ですから仕事は「自分の出来ることで明るく活気を持って」やるのです。人は人を求めています。目の前の仕事を活気を持ってやっていれば必ず大きなチャンスが来ることを信じて。
私は私以上でも以下でもありません、目の前のことを一途に活気を以て対してきました、その道中にいろいろな人と出会い、いろいろな場所を与えら、景色も変わり楽しみも多くできる。先日も小金井に行ったように、今日は下関です。
自分の気持ちを素直に活かして明快にあれば人生の素晴らしいステージが与えられるのです。皆さんも人生の途中経過に悩まずに己を信じ活気良く歩みましょう。
人とは面白いもので活気があって失敗する人が結構チャンスをものにしているのです、何故かと考えたことがあります、それは明るく「けなげさを人に感じさせるから」だということに気づきました。人は少し失敗するくらいの人が愛嬌があって好感を持って受け入れられるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌