滅私奉公

おはようございます。

考えてみますと不思議でありがたい人生を歩んできました。しかし私の目指してきた人生は「仕える」ということでしかありません。
その気持ちが今日の人生のステージを与えられたことに感謝も感動もしています。叡山に小僧として入りひたすら「使われやすい人間を目指し」今日。
右向けといわれれば右を向き、左を向けと言われれば左を向く、そんな人生の来し方をしていたら何故か「信頼というものを得た」、不思議としか言いようもないのです。
与えていただき仕事は作る物だとも気づかされたのです。
「滅私奉公の話し」。
滅私奉公などといいますと何か古くさいカビの生えた話のようですが、古人の座右の銘にはこのような意味の体を成した言葉が多くあります。
「則天去私」「敬天愛人」「無心帰大道」「無」等々です。
己を滅することで大いなる「有を生じ」、世の中は有を求め無にする人も多く目にします。これまた不思議でもあります。天に仕えることが滅私と私は捉えているのです。天は万物に恵みを与えるからです。
多くの人に使われて多くの才能を見、実感することが出来ました。自分の中にこんなにも多くの可能性があるものかという感動です。
何一つ優れた物を持っていない私、使われることでその才能を開眼することが出来た。
無い物ねだりはしないというのが私の一つの在り方です。身の丈にあったことをする、分相応だとも思っている。
最初は何一つ上手く行く物はありません、物覚えも悪く、時間もかかる、ようやくできたと思ったら仲間は先へ行っている、お陰で身につきました。
世の人は賢い、だから飽きるのかも知れません、次から次へと新し物好き、お陰様で遅い私は道連れが沢山出来ました。
出来なかったから背伸びもせず、いきがりもせず、相応にやってきた、忠実にです。誰しも命を発すれば忠実にやって欲しいと願うでしょう、私もそのように思います。
徹底して私を去る、このことを心情として社会貢献をするという志を忘れずにやって来たお陰だと感謝もしています。
指示されたら確実に行う、出来なければ次に進まないということも若い時代に徹底しました、中途半端に終わらせない、自分の人生をお茶で濁さないということです。
ずいぶんと叱られもしました、しかし自分の人生です。
徹底して身につけないと進化は図れないとも思っています。だから徹底して身につけたのです。
潜在意識の回路に「必ず行う」というプログラムをセットしたお陰とも思っています。修行も仕事も一人でしているわけではありません、自分が出来ていなくとも次から次へと仕事、指示は来ます。自分の都合ばかり言ってはいられないのが現実。
だからこそ人と競争をしないで歩むことが肝要です。仕事はたまっていっても前の仕事を確実にすることを忘れないということです。
私は40才まで夜中1時には起きていました、一日を二日生きる、夜は昼の余りと考え行動したのです。そうしてようやく周囲の人と足並みをそろえて歩むことが可能となったのです。
滅私奉公、古い言葉ですが、この言葉があったお陰で今日があります。
何ごともそうですが、明るく淡々とやることが大事、人に知られることではなく、目の前に腕の振るえることが沢山あることが楽しいのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌