育てる

おはようございます。

六月、水無月田圃がキラキラと輝き小さな苗が風に吹かれ秋の実りを思わしめる楽しい季節、豊葦原瑞穂の国ですので梅雨の季節ですが、私たちに欠かせない水、心晴れやかに今月もよろしくご愛読ください。
「育てる話し」。
今年も早半年、元旦に立てた目標を育てておられますか?、まさかお忘れになってはいないでしょうね?。
育てては取り入れる、育てては取り入れるという繰り返しが一年です。そして結果の多少にはこだわらない、これは人生でも仕事でも同じです。育てなければ取り入れができないのですから。
常に一からやり直しが摂理です。現実も大事ですが「子曰、人無遠慮、必有近憂。(しいわく、ひと、とおきおもんばかりなきときは、かならずちかきうれいあり)。論語、衞霊公十五」となります。
仕事で成果、結果を出したいと考えていながら成果を出せないということの一つに「育てていない」ということがあるのです。
取り入れだけ、結果だけを欲しがっても育てた物がないのですから取り入れが出来るはずもないのです。
最も身近な育てるものが自分です。自分をどのように育てるかが使命でもあります、このことが大いに人生を左右します。食物を育てるのは何故でしょう、必要欠くべからざるものだからです。
米は作ってくれとは人に頼みはしません、しかし私たち人間は作るのです、それは「必要だからです、命そのものだからでもあります」、だから頼まれもしないのに作る。
道理をこのように観ていきますと「自分が必要とされる人間として自分を作る」という当たり前のことが観えてくるのです。
人は出来ることと出来ないことがあります。
出来ないこととは何でしょう、山を持て、空を飛べ、水の上を歩け、これらを出来ないと言います。
出来ることとは何でしょう、仕えること、親切にすること、働くこと、学ぶこと等々です。それをあれは嫌、これは嫌といって選んでいる、これは出来ないのではなく「しない」のです。
出来る出来ないはありますが、出来ないことと、しないこととは天地の差があるのです。このことを混同してはなりません。
仕事が上手く行かないと嘆いている人の中に出来る出来ないで悩んでいる人が大勢おられますが、お話しを聞いていますと、「しないことを出来ないことと」考えている人がほとんどなのです。
自分を作る、自分を育てることをしましょう。先日も書きましたが私は人を知ることは出来ませんが、自分を少しは知っています、人様と比べれば劣っているということです。
しかし世の中はありがたいことにレベルがあります、そう、私でも出来る仕事はあるのです。私の出来ることで社会貢献をしようと私は自分を育てたのです、そして少なからず私を必要としてくださる方と年々お出会いしているのです。
そして旧知の人も新しく出会った方も今年も必要としてくださる方があるのです、毎年、毎年怠らず自分を作り育てています。
今日は6月の第一日曜日ですので心華寺では「月例幸福護摩祈願祭」です、皆さんの幸福をお祈りさせていただく日です。
私の幸せは人様が幸せになって始めて幸せになることが可能だからです。
毎年毎年新たな気持ちで育てて参りましょう。
年々歳々花相似(ねんねんさいさいはなあいにたり)、歳々年々人不同(さいさいねんねんひとおなじからず)、花も人も似たようではあっても年々歳々変化、進化することをお忘れ無く。又進化しないようでは?なのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌