基礎、基本の大事

おはようございます。

私たちの一日の時間は24時間、誰でも同じ時間で過ごしています。しかし考えてみますとこの時間内に複数の仕事をこなしている人と、複数の仕事が出来たことによって元来の仕事も新たな仕事も失う人もあります。
「基礎、基本となる仕事の話し」。
仕事は相手があることですからいくら努力しても如何ともしがたい事があることも事実ですが、安定していく人と減っていく人がいる、何故このような違いが出るのでしょう。
あれもこれも仕事は出来るはずもありませんが、しかしよくよく考えてみますとあれもこれもという仕事は何一つしていないのが現実である事が分かります。
あれもこれもと思うのは「相手が違っていること」であって、「基礎、基本となる仕事」の「延長線上に仕事があるだけ」なのです。全く新しい質の違った仕事などはないのです。
しかし仕事が増えた結果仕事を失う人はあれもこれもと考えて失ってしまうのです。逆に延長線上だと考える人は「工夫を凝らし同時進行で仕事を進めていっている」ことが分かります。
せっかくの仕事を失う人、仕事が増えない人は「自分を磨くのは自分が主体、仕事は相手が主体」、この違いが明快でないとも考えられます。
「満れば欠ける、欠ければ満」が理です。仕事を失っていく人は「出来ているという慢心、錯覚」を観念として持ってしまうことにもあります。
仕事は自分の考え方で進められることは何一つありません、しかし実際の仕事は自分で行うわけですから結局は自分が進めていますので、仕事に対する考え方、姿勢が「その後の仕事の展開を左右する」こととなることに気づくべきなのです。
私たちの修行の基本、基礎は作務(さむ)といって、掃除が基本、基礎です。修行とは「教えを体を通して体感、体解(たいげ)、体で覚ること」を言います。学問、勉強でも体を使ってやらねばならないことをここで身につけさせられるのです。
最初は先輩や、師匠に掃除の仕方、方法を教えられます、そして「目標、掃除の範囲を指示されます」。
最初は時間がかかってなかなかに時間内には終えることが出来ませんが、やはりそこは良くした物で慣れてきますと早くなり時間内に終えるようになります。
ここで「覚り、気づきが大事」なのです。ここで小さな覚り、気づきを得ない人間は「大きな覚りも得られない」のです。
師は作務を通して何を覚れと言ったのかです。掃除をすることで「きれいになることの喜びを覚れ、気づけ」と言ったのです。そして「人様が喜ぶことを知れ、人様の役に立つ喜びを知れ」ということです。
そこで覚り気づいた人間はどのような行動になるのでしょうか、掃除の「喜びの範囲を広げていく」のです。大きく展開をしていくのです。このことを「体を通して理解すること」ができれば多くの人の支持が自然得られ、掃除(仕事)の要望も依頼もくることとなるのです。
学問、勉強知識を高め深めること技術を高め磨くことも同じ、学ぶ「喜び」を知ったら「止められない、止めない」のが「教え」なのです。
知って終わり「喜びを知らず、覚らない」のでは「満ちたにもかかわらず、欠けて失っていく」しかないのです。
人生はどこまで行っても自分の人生、仕事をしていて人ごとのようにしていては自分の人生を自分で損なっているのですから、仕事を失っても当然でもあるのです。
よく時間がない、時間が足りないという方がありますが、それは「為そうとする意欲、喜びが無い」のであって、時間がないのではないことも知りましょう。
基礎基本の大事を知らず仕事を自分の都合で考え仕事を失い、何で?と疑問を持つような愚かをしないようにしなければなりません。
自分を磨くのは自分の主体性、仕事は相手が主体性であることをしっかりと認識を強めて大きな展開があるように努力してください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌