恩義

おはようございます。

今日は明日の比叡山報恩参拝登山、結縁潅頂(けちえんかんじょう)のため遠くは高知県土佐清水市の信者さん親子の方や九州は福岡、鹿児島、愛知県の方々と心華寺にお参りをして比叡山へという多数の方が宿泊されますので楽しみです。
平成10年、比叡山延暦寺、根本中堂に一千二百年燦然と灯り続けております「不滅の法灯」をご分灯いただきました。そのお礼のため翌年から報恩参拝のため登山しております。
年一度の比叡山参拝という良い機会ですので皆さんにお声をかけさせていただき賛同くださる方が多く感謝の気持ちを一層にして比叡山根本中堂、ご本尊様と不滅の法灯にお参りをさせていただいているのです。
そのようなご縁から延暦寺様からせっかくの登山だから結縁潅頂(仏教界最高峰の天台座主猊下から直接仏様とのご縁をいただくこと)を皆様に受けていただいたらというお勧めをいただき、今年で報恩参拝は10回、結縁潅頂は7回となったのです。
「恩義を忘れない話し」。
私たちは往々にして「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で恩を忘れがちとなります。仕事をしていますと無意識に五分の付き合いのように思ってしまいがちになるということです。用心しなければならない一つです。
始めて買っていただいたお客様、始めてお取引いただいた取引先、教えをいただいた方や先生、第一線での活躍が在ればあるほど忘れがちとなります。
一つのきっかけで大きく進化の契機をつかみます。そのご縁、恩を忘れないということです。人様は忘れても自分は忘れてはなりません。
恩という字は「くにがまえ」の中に「大」、そして「したごころ」です。くにがまえとは自分の「分、領域、能力」という意味合いです。その中にリラックスした姿が「大」、ゆったりと寝ている姿が大の意味です。
ゆったりと心に迷い無く日々を過ごせるのは自分が働ける、能力を発揮できる領域、テリトリー、範囲、世界を持てたから、「与えていただいたから」こそです。そこに感謝を心で感じている、「心の上に載せて忘れない」ことが「恩」なのです。
一つのきっかけが無ければ未来も無く足跡も残せずということです。皆様にもそのような思い、機会があったと思います、大きな「転機」となった出会いが。
自分が今日在ることを戒めることも「恩の義、恩義」です。理由、由縁があってのことです。この由縁、理由を忘れたのでは人間とは言えないのです。
人が「人として在ること」が出来る理由の一つに「恩を忘れない」ことがあります。恩を忘れたのでは人間では無いとも言えるのです。
今日は不況の予兆が見えています、このようなときだからこそ恩義を忘れないことが大事ですし力を合わせることが肝要です。
危機管理が出来ず、会社を破滅に導いた経営者などは全て、恩義を忘れた当然の結果です。大きな転機とは言えずとも私たちは人の恩、お陰の上に生きていることを感謝しなければ為りません。
自分一人で一人前になった如く振る舞うようになってしまえば坂道を転がるようにあっという間に立場を失い、それ以上に仕事を失うこととなるのです。
心華寺はまだまだ半世紀の歴史、私はといえばまだ心華寺で32年、しかし仏法は紀元前から三国を経て伝来し、比叡山で花開き、今日の私まで伝えられたのです。これは驚異であり感動です。
11年前、修行させていただいた比叡山より法統継承の証として不滅の法灯のご分灯を願い許されたのです。
目に見ることの出来ない心を形にした不滅の法灯、千年を超す永い長い間にどれほどの修行僧が灯火を熱い情熱でお守りしたか計り知れない法灯、大切な法灯を弟子達に守って欲しいと念じ分灯いただいたのです。
多くの人の魂の上に何ごとも在るのだということの恩を形として、少しの風でも消えるはかない灯火が、熱い情熱で守れば一千年という長い時間を経過しても消えることがないという恩義、教えなのだとの思いを強くし手を合わせております、明日は年一度の皆様と共に嬉しい参拝です。
今年ご参加いただけなかった皆さん是非来年はご一緒しましょう。魂の世界を形としてそれを「人から人へと継承していく」千年を超えた筆舌に尽くせない素晴らしい体感が出来ます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌