豊かに生きる

おはようございます。

昨日は皆さんと月一度共に祈る楽しいひととき、共にという事を考えると前後の数日が楽しい心で心がしめられ一ヶ月又楽しい豊かな気持ちになれます。
皆さんがそれぞれの幸せを願って無心に祈る姿を見ますと、よし自分もと又勇気と希望をいただくのです。
「豊かに歩む心得の話し」。
人生を豊かに歩みたい、過ごしたいと誰しもが思うはずです。ではどうすることで豊かに歩めるか、過ごすことが出来るかということです、私が心がけていることを書いてみます。
「人を称える、尊敬する」ということです。
人様はどなたでも自分の持っていない物を持っています、自分に無い物を持っていることに「尊敬の念を持つ」そして「親しむ」ということです。
自分の持っていない物で日々助けられてもいます、お陰様で感謝するばかりです。
この思いを持つことが出来れば第一関門クリア〜です。花を見て豊かな気持ちになるのと同じです。
この意識が自分を豊かにし、自然人の良いところを取り入れていけるのです。これが自然「まねぶ心に転化」していくのです。
逆に人の素晴らしさを妬むようではどんどん心が貧しくなり、人の粗や欠点探しをするような嫌な人間性を養い、貧しい人生となります。
豊かな人生をと思っているにもかかわらず欠点しか見ないということでは豊かにはなれないのです、何故かと言いますと気持ちがそちらに向いていて気がそがれてしまって、自分を高めることも磨くことも出来ないからです。
仕事も人生の良い出会も「人様が運んで来てくれる」のです。親しまなければ「人は遠ざかる」のです。
誰しも自分を認めてくれる人、受け入れてくれる人、親しんでくれる人に「好感を持つはずです」。認めてくれる人、受け入れてくれる人、親しんでくれる人とは「自分に都合の良い人ではないことにも気づかねばなりません」。
称える、尊敬することは簡単なことで、何も難しいことではありません、難しくしているのは自分の心、「共存共栄という精神」、思いを知らないから出来ないのです。
共にあることが誰でも嬉しいことです、共に楽しむことが嬉しいのです。尊敬するとは、このような「状態」をいうのです。
時間を共有する、時代を共有する思いは自分がすることであって、人に強制するものではありません、しかし「思いは外にあふれる」、「雰囲気となって表れる」から不思議なものです。
雰囲気や思いが自然に外に醸し出されるようになるには普段の自然な思いからです。人を称える、尊敬するということは自然に人格を豊かに形成していくこととなるのです。
「人様は全て我が師」なのです。
特定な人だけを師と考えて差別するような意識からは人を包み込むような豊かな雰囲気は醸し出されないのです。
一昨日に愛知県からわざわざW君がお手伝いとお参りに来てくれました。お陰様で一昨日は寺の近くの炉端焼きの店で美味しい肴を当てに般若湯を酌み交わすというご褒美。
ご存知のように下関は魚が新鮮でそして安い、法事に差し障りの出ないようにたらふく堪能したのは言うまでもありません、称える尊敬する、結果の一つではないかと独り納得しているのですが?。
これは少し違うかな?まぁこのような錯覚もいいんじゃないですかね〜。
明晩は「にんげん学」小倉講座、九州地区の皆さん共に楽しみましょう、会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌