人生を疑わない

おはようございます。

私は常に未来、明日を信じ歩んでいます。未来は信じて歩むべきであって悲観してはなりません。
どんな未来を信じているかと言いますと、常に「働く」ということです。それ以上も以下もありません、「働ける場があることに一番の喜びと感謝を感じる」のです。
働くことは「傍(はた)を楽」すること「周囲を楽すること」と何度もかいています。そして「動ける」という喜びです。
身近な喜びから「円周を大きくしていく」のです。先ず自分がイキイキと喜び働くことです。
以前も書きましたが動くと「体、魂が喜び」ます。体が喜ぶと「精神が清浄になり透明感を増し、人生の未来に疑いを持たなくなる」のです。そして利害では動かなくなるのです。
自分の利害などはちっぽけなものだと考えられるようになるのです、その程度の利害は邪魔になるだけで、百害あって一利なしを知るのです。
「人生を疑わない話し」。
信じるということは疑わない、計算しない人生を送ることが出来る。
あぁだこうだと考えて「下手な考え休むに似たり」という人生を送ることほど虚しいものはないのです。
私は自分の知識のレベルも身体能力のレベルも自己認知しているつもりです。ですから人様と比較して劣っていたとしても落ち込むということはありませんし、優れた人と一緒に仕事をしたくないというような劣等感にも苛まれません。
昨日書きましたように優れた人を見ますと尊敬の念が黙々とわき出てくるからです。
レベルはありがたいものです、社会もありがたいものです。相応しい仕事、場を与えてくれるからです。
ところが自分のレベルを自己認知できていない人はどうしても「出来ると勘違いすることが多く」レベルを嫌います。レベルを「差別ととってしまっている」からです。
レベルは「段階・階段」です。一段一段上がれる手がかり、方法であるということに気づくべきです。
ですから私は「未来を信じ安心し明るく楽しく精進する」のです。
給料が上がる、出世する大切なことだとは思います。思いますが天気を左右出来ないように「人の心は左右できないのです」、左右できないことに心悩ませ、患わせるのであるならば、私は出来ることで精一杯やることの幸せを願うのです。
そんな風にして今日まで「与えられた場で」精一杯自分のレベルで未来を信じ動き働いて来ました。
同じ花でも時には玄関に、時には床の間に、時にはブーケに、時には庭に植えられたりと同じように、無心に在れば人はいろいろな「場を与えてくださる」のです。
未来を信じ策を弄さずに生きる、未熟なときは真摯に生きた人でも真理に目覚めることのない愚かな経営者は何ごとも自分で出来ると錯覚をして理にないことを行い、晩年に生き恥をさらす事態となるのです。
常に私たちは未来があるのです。その未来は真理に基づいてこそ継続されるのです。物や仕事は物を言わないような錯覚、慢心に陥るのは「段階を経て今日があったのだという感謝の念を失った結果」でもあるのです。
物を言わない物だからこそ「真心を持って仕事をしてきたことを忘れてはならない」のです。「物は物を言うのです」。
私たちの心は「何かを通して表現され、語りかけている」ことを忘れてはなりません。
今現在の仕事に不平不満を持たずに真摯に立ち向かって未来を信じ人生を信じてこそ素晴らしい未来があるのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、自分の「心の鏡がにんげん学」です、鏡を見て身だしなみを整えること以上に心を整えることが大事なのです。
「こころ、ころころ」故に心です、古人は心にこそ一番の用心が大事だと言ったのです、自分の心こそ学ぶべきです。
私が一番悲しいことの一つに知って堕落する人を見るときです、あなたは一度鏡を見て二度と鏡を見ないなどという愚かをしていないはずです。
未来は常に未来であることをお忘れ無く。「学びという鏡を見ましょう」。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌