おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございました。一ヶ月一度しっかりと予定を立て仕事を行って参加くださる、その事を嬉しく思います。
「自主性」を以て仕事に立ち向かうことがなければ「自分の時間も作れません」、結果「受け身の人生になってしまい」、仕事の「結果も出せず自分を高めること」にも繋がらず「どっちつかずになる」危険性も生じるのです。
自分を高める時間を持てないということは「心が他に奪われている」とも言えます。
何かに立ち向かうには準備が肝要、ただその日を待つだけでは何も得られません。準備をしてこそ結果がどうであれ「しっかりとした反省ができ」、次への「ステップアップが叶う」のです。
心華寺では昨日から研修を行っています、日曜まで三組の研修、帰ったら皆さんにしっかりと人生の心構えの話が出来ればと楽しみにしています。
「いろいろな味を味わって真の味が味わえるという話し」。
人間誰しも好き嫌いがあり得手不得手もあります。このことを事実として受け止めて対処することが大事です。
そうしませんと「好きなことへ偏り、得手なことに偏る」という人生となってしまいます。
偏ることはよろしくありまあせん、何故かといいますと嫌いなこと、不得手なことを「避けてしまう」と同時に「嫌いなことを出来る人、不得手なことが出来る人を嫌ってしまう最悪な人間観を持つ」ことにあるのです。
研修の時に「食事作法の指導」をいたします。その中で「食べ物の好き嫌いは人の好き嫌いに通じる」という話を致します。
私たち人間はオギャ〜と生まれて最初に「抱かれる」ことで「外部との接触を無意識に体感」します、その次は「お乳を飲み無意識に命を保つ」のです。
両親の愛情で次第に成長し、離乳食をもらうようになり、母親が離乳食を口に運んでくれます、しかし赤ちゃんは両親の深い愛情などは知るよしもありませんから、「口に合わない食べ物は飲み込もうとしない」のです。
これが人間の「最初の我の発露」です。我は「無我」です、何も考えずに行動するのです。
このことを知って親が手を変え品を換えて上げますと我を増長させないのですが、食べないからといって、何の工夫も無しに他の食べ物、食べる物だけを上げますと、「我を増長させることと」なるのです。
この無意識の「我」が人生を大きく左右することになることに気づきましょう。
「我の存在を知らず」そのまま好き嫌いを放っておけば「人間の好き嫌いとなる我が増長する」のです。
甘い物だけを食べ続けられる道理はなく、辛いものだけを食べられる道理もなく、同じ物だけを食べられる道理もないのです。ミックス、取り合わせ、だからこそ料理、食事を作ることを「調理」、理を調えるというのです。
偏った食べ物では「飽きが来る」のです。我を通している人間は何をやっても「長続きしない」のを見れば「一目瞭然」です。それは我を通せば「飽きるから」です。自分の好きな物だけ、我欲を求めても人生の確立はないのです。
人生を単なる好き嫌い、得手不得手で考えるようであっては人生の確立などは覚束ないのです。
刺身は美味しい、しかし醤油やわさび、大根の妻等々が無ければ味わいは薄い物。他の食べ物も同じ、「相反する味」があってこそ「味が引き立つという道理」です。好き嫌い、得手不得手は「一対」であることに気づきましょう。
人生自分が一番大事、だからこそ「我」を正しく認識しなければ「我によって亡びる」こととなるのです。
何ごとも好き嫌い、得手不得手で二元的に物事を考えることをせず、全てを味わって真の味わい在る人生を確立しましょう。
我が儘からは何も生まれないのです。好き嫌い、得手不得手で当てもない人生をさ迷うのであれば「与えられたこと、目の前のことを味わう楽しさを」知りましょう。
「にんげん学」後の懇親会の食事は素晴らしい味でした。食べ物の味もさることながら「共に食べる人の味も添えられる」からです、「人生の味は深い」、個人の我の狭い世界から味を無くしてはなりません。
「にんげん学」小倉講座、来月も26日(土)です、一ヶ月しっかりとお仕事をして自分の時間を作りご参加ください、皆様にお会いできることを一ヶ月楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌