仕事は心を磨く

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございました。6日の「大般若六百巻転読会」大法要へも是非お参りください。来月の講座は8月5日(火)です、これから本格的な夏、きっと厳しい暑さとなっていることでしょうが、来月もお会いいたしましょう。
昨日は信者さんが仏器(ぶっき)磨きのご奉仕に来てくださいました、率先してきてくださることに喜びが一入、そんな穏やかな気持ちで「にんげん学」講座に出ることが出来ました。
比叡山で修行をしているころ仏器磨きは「心を磨いているのだ」という事を師匠に教えられました。今はお手伝いいただいています皆さんに師の教えをお話しさせていただいております。
全くその通りだと今では実感しております。
「仕事は心を磨く話し」。
王陽明(おうようめい)は「事上磨練(じじょうまれん)」、日々の生活の中で人は磨かれる、磨くべきだとも明言しております。
知識で得た自分の思いと現実の人様との価値観の違いの中で己を正しく保ち自己解釈せず進み、磨き上げることだということです。
何ごとも事を始めるときは「脱兎(だっと)の如く始めるのが常」、それはこの仕事をすれば必ず目標が叶うことを信じているからです。しかし最後まで決めたことをやる人が多いかといえば?です。
しかし事が実現すればよぉ〜し次もやるぞ〜となるのですが、上手く行かなかった場合は意識が萎(な)えることも事実。
私たちは実践の中で始めて「自分の心を知る、気づく」ことを多くします。この気づいた、知った心を大事にすべきです。
事を通じてどのような「心理状態、気持ちになったのか」をしっかりと把握すべきなのです。そして「教えを通して再思考」する、我で物事を考えないことが次の「ステップアップ、自己を高めることとなる」からです。
良かったと思えたのは「何故だったのか」、嫌だと思ったのは「何故だったのか」、成功したのは「どうしてか」、失敗したのは「何故か」ということです。
私は嫌だ、辛かったと仕事を通して実感した時、嫌だ、辛い部分を「磨くのだ」という思いで次の仕事に対してきました。
仕事は変わっても「仕事に対する自分は変わらないから」です、ですから「自分の意識も変わらない」ということです。
対象、仕事で目先が変わったからといって真実「自分の意識は変わってはいない」のです、変わったと「思いこんでいるに過ぎない」ことを知るべきです。
体験した嫌なことを対象や仕事が変わることで意識が変わるなどと安易な考えでは「同じ嫌なことを繰り返すだけ」なのです。
仕事も人も選べないのが人生、物事に対処する「自分の心をしっかりとしていなければ」、在ろうハズもない楽な仕事を探すという、さ迷う人生となるからです。
嫌なことと感じ、辛いと思ったことを体験したことは「そこを磨けと啓示を受けたと認識すべき」です。そしてクリアーすることです。
嫌なこと、辛いことを「気づき、知ることが出来たと感謝し喜ぶこと」です。
このような意識で仕事に対していけば嫌なことも、辛いことも軽減されるのです。自分が嫌だ、辛いと考えていることは「大概人様も同じように感じている」ものです。故に「真摯に事に対する人はチャンスを多くしていく」ことになります。
仕事は「自分の知らなかった心を磨くものだ」と考えて当たれば「チャンスを得る」のです。
どんな名刀でも錆びれば切れないのが道理、心も錆びれば磨くことです。心を磨く砥石は仕事です。砥石(仕事)に刃を当てて磨かなければ磨かれません、仕事に真摯に対しなければ自分も磨かれないことを知りましょう。
最初意気込んでも最後まで全うしなければ何も得られないどころか、知らず知らずの中に結果を出さなくともいいという習性を身につけてしまうことが最も恐いのです。
仕事は自分の「知識も技術も心をも磨き上げるもの」だということを肝に銘じましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌