進化しないのは?

おはようございます。

昨日朝起きましたら逆まつげとなって目が痛く、朝の書き込みも痛みでなかなかまとまらず、お勤めはしたものの、やはり仕事にならず病院に行って見てもらいました。
たった一本の睫毛で痛くてどうしようもない、しかし痛みに大小はありません、こう考えますと何ごとも比べられないということでしょう。
お陰様で治療をしてもらい楽になりました。お薬も貰ってきましたので良くなることでしょう。
昨日は又強い雨が降ったりやんだりの変な一日でもありました、天は何を私に気づけと言っているのでしょうか。気構え、心構えは出来ているつもりなのですが、出来ていないのでしょう。
天の気も悪く、目も見えない、気を察しろ、能く物事を見よという啓示なのだと受け止めました。
「進化しないのは何故かという話し」。
論語「子罕(しかん)」篇第九に「 子曰く、法語(ほうご)の言(げん)は、能(よ)く従(したご)う無(な)からん乎(や)。之(これ)を改(あらた)むるを貴(とうと)しと為(な)す。巽与(そんよ)の言(げん)は、能(よ)く説(よろこ)ぶ無(な)からん乎。之(これ)を繹(たず)ぬるを貴しと為す。説んで繹ねず。従うて改めざれば、吾(わ)れ之を如何(いかん)ともする末(な)きのみ。」
意は、「孔子言う、もし他人が条理の整った正しい言葉を以て教え戒めてくれれば、それに対して何人も従わないわけには行かぬであろう。しかし口先だけそれに従っても、実際の行いをその言葉によって改めるのでなければ、何の役にも立たない。
故に法語の言に対しては、それによって自分の行いを改めて行くことが大切である。
又他人が、婉曲な物静かな言葉で教え戒めてくれれば、何人もそれを喜ばない訳には行かない。しかしただ上辺で喜んだだけで、その隠約(いんやく)の言葉の中にいかなる意味が含められておるかを尋ねて行かなければ、せっかくの教えも役立たない。
故に巽与の言に対しては、十分にその意味を尋ね究めることが大切である。
然るに世の中は往々にして、巽与の言をを聞いて、よろこんで見せても深く尋ねることをせず、法語の言を聞いて、一応従うようには見せても実際にその行いを改めない者があるが、かくの如き者は、自分としても何とも教え導く術はないのである。」
これは「人の言葉を聞く場合の心得を述べたもの」です。
法語の言とは、法則に叶った言葉の意味です。昔の人は、常に「先王の言」・「聖人の言」というようにして古人の言を引いてくるから、法語というのであり、巽与(そんよ)の言は、婉曲(えんきょく)な言葉、親切な言葉をいいます。
私たちは教え受け、人の話を聞くということは行動を前提としなければなりません、しかし往々にして口先で理解を示し行動に至らないということが多いのです。
故に進化がない、そして信用も築き上げられない。
理解し難いであろうという師の優しい心からレベルに合うように遠回しにわかりやすく説いて貰っていながら言葉だけで理解して行動を改めることもなく、何も変わらないという愚行を犯し優しさに気づかないようでは教えを乞うという態度が無いともいえます。
会話をすることが進化していると勘違いしている人が多くいます、このような人は人生を尋ねようとの自覚が足りないのかも知れません。
孔子はこのような人間は私としても術はないと嘆いているのです。
私たちは行動を改めもせず、充分に理解しようともせずにいることを時折反省すべきでありましょう。
話を聞き、教えを乞うて進化しないのは自分にその責があることを気づくことが大事です。
心を改め、行動を改めることをせずに出会いを多くしても信用を自ら落としていることとなるのです、徒労をしながらも自分の非に気づかない人は多くいるものです。
それよりも何よりも人様の言葉をしっかりと受け止められないという「非礼」に気づくことが大事なのです。
明日は「にんげん学」一宮講座、愛知地区の皆さん会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌