人の道

おはようございます。

今日は心華寺を建立された長澤芳夫、一栄ご夫妻の命日法要。毎日のお勤めも欠かしませんが、祥月命日は殊更に大切です。去る者は日々に疎しであってはなりません。
両親は言うに及ばず、独立してからお世話になった方の命日は忘れてはなりません。恩は忘れてはならんということです、それが「人の道」だからです。
「誠は天の道、それを誠とするは人の道という話し」。
社会人として、一人間としての地位(仕事、立場)を得ることは必ず誰かの「引き、縁があって」こそです。
縁に「良し悪しは無く」、良くも悪くもするのが「自分」です。そして「大小も無い」のが縁、大にするか小とするかも「自分」です。
縁に出会えば何をするかといえば「育てる」です。育ててこそ「良縁にもなり大きくもなる」のです。
縁を良縁とし、大とするには先ず出会いを「天命」と捉えることが大事です。
皆さんは良い出会いをどのように捉えていますか、良い出会いをしたい、いい人と出会いたいとは誰しも願っています。その「良い」とは「どのような縁ですか?」、ハッキリとしておりますか。
私の場合は「良い縁、良い出会いはハッキリしております」、出会う縁、出会う人「全て良い縁」と捉えています。それを「天命」と捉えているのです。
私たちは「与えられて得ることが出来る」のです。この摂理を明快にしておかなければなりません。
二宮尊徳翁は「中庸」の思想からこのように謳いました。
「誠は天の道なり。これを誠とするは人の道なり」。
私たちは大地(畑)に何物かを播き育てることを知りました。知るということは「与えられた」ということです。
天(自然)は全てに誠を尽くします。畑に播いた物だけを人は育てようとはしますが畑には雑草も生えてくるのです。
この時私たちは「どうすべき」なのでしょう。人としての誠は「どうあるべきか」ということです。
「雑草を抜く」です。これが人の誠、人の道だというのです。どのような縁に出会っても「育てようとしなければ育たない」ということです。
天地の誠は「万物を育む」という徳(能力)があります。自分が育てようとする物を育てようとしなければ育たないのが真理なのです。
米を作ろうとするならば、「米に尽くす」ことが「人の道」だということです。人様との出会いも同じです、人様から「利を得ようとしたならば人様に尽くすこと」が人の誠の道だということです。
「己を忘れて他を利する」とは比叡山ご開祖伝教大師様のお言葉です。
縁を大にするか、縁を良縁にするかは私たちの「誠にある」のです。
何ごとも知り得たのは先人のお陰、その恩を忘れてはならないのです。大小、多少で軽重を見ているような心では育てるなどという心もなく、「与えられて得ることが出来るのだ」という当たり前の感謝も生まれないのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、人の道をご一緒に学びましょう、愛知地区の皆さん会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌