温故知新

おはようございます。

毎月第二日曜日午前10時から「水子供養法要」を厳修しております。ご先祖の供養や回向は日々のお勤めで修しておりますが、水子の霊を供養させていただくことは月一度第二日曜日と決めて「水子地蔵尊」を建立していただきました皆様と、水子をお持ちの皆様とご一緒にお勤めをさせていただくのです。
「去る者は日々に疎し」と申しますが、水子様の場合は口もきけないままや誕生も出来ないままに来世へと旅だったのです。
このことを思うだけでやはり供養は大事です。言葉に発しないから、言わないから、しない、では悲しいものです。身近な愛する人への気配り、心配りは人生に於いての心配りの基本でもあります。
身近な人への心配りの出来ない人は人様への心配りはなおさら出来るはずが無いのです、そのようなことでは仕事でも人生に於いても発展は覚束ないのです。
いろいろな事情があるからこそ「命への感謝を表し行動にすることが大事」です。行動が現在の家庭の安泰、未来の平和となるからです。年数が経ったから済んでしまった、忘れしまったというのでは良くありません、年数を経れば経るほどに大切なのが供養なのです。
「愛の結晶で授かったのが子供」です、授かった愛するわが子が誕生できなかったことを忘れてはならないのです。
「忘れなければならないことと、忘れてはならないことがあります」、愛の結晶でありながら誕生できなかった水子様は忘れてはならないのです。
「温故知新の話し」。
歴史から学ぶ、過去から学ぶ、これも人生の基本で大事なこと、昨日から一日から学ぶともいえます。
最も身近な過去、今日から一日から学ぶことが出来ないようではお話しになりません。今日から、一日から学ぶことが出来て過去からの学びも大となるのです。
先日も恩は忘れてはならないと書きました、未来へ向かって人生を構築するには過去を振り返るのではなく、過去から学ぶことをしなくてはなりません。
過去に引きずられることは現在を認めないことですからこれはよろしくありません。
また過去から学ぶことなくして現在だけを信じるようでは人様の可能性も自分の可能性も否定すると言うこととなり、現在だけしか信じないというのは慢心に外ならず、鼻持ちならない人間ともなります。
何かで失敗をして「臭いものに蓋をする」というようなことでは安心した人生を確立することは覚束ないのです。
昨日書きましたが人生の成功は人に賞賛されるのが成功ではありません、自らを反省して再び過ちを犯さないと言うことが肝要で、このことが出来たら人生は成功でもあるのです。
なぜならば過ちを再びしないからです。そのためには過去から学ぶことが重要なのです。
過去から学ぶ事が出来ない人は「未来を持っていない、夢を持っていない、目標を持っていない」ともいえます。ただ漫然と夢のように何の根拠もなく思い描いているに過ぎないのです。
人生は失敗や過ちはするもの、だからこそ忘れてはならないのです。何故かと言えば私たちには大いなる未来があるからです。
忘れないと言うことはこだわりなさいと言うことではありません、忘れるためにも忘れずに、臭いものに蓋をせずに反省して再び素晴らしい人生を確立するために「感謝をし」そこから学ぶことで再びしっかりと歩むことなのです。
悲しいことがあったからこそ、苦しいことがあったからこそ、辛いことがあったからこそ、そこに蓋をしないで、そこから学ぶことで未来が大きく開かれ、自分の心が安定し、周囲の人々にお返しが出来ていき、自分も周囲も幸せになり喜びの輪を大きくすることが出来るのです。
今夜は「にんげん学」京都講座、温故知新、しっかりと真夏日に負けずに熱く学びましょう、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌