若き日の思い

おはようございます。

7月に入って急に暑くなり蝉の声が日に日に大きくなって来ています。季節の変わり目に時折思い出します、若い頃夢を語り熱く話し合い意気投合した友。
一緒に夢に向かおう、一緒に学ぼう、一緒に目標を達成しようと語り合った友、しかし人生は一人歩まなければならない現実の寂しさ、しかし友がいたからこそがんばれたのだという思い。
「志を同じくしても同じようにはなれないという話し」。
夢と目標と志だけがあって何もなかった時代、意気投合し夢を語り合いながら激論を戦わすことが喜び、しかし喧嘩別れをしなかった友、お互い切磋琢磨しながら次第次第にお互いがお互いの方向が鮮明になり、あれほど一緒にと約束していたのにもかかわらず、自分の夢を追いかけたい、しかし友とも離れがたい、複雑な心境、心の葛藤。
自分一人でやれるだろうか、否やらなければならない、友は一人でやっていけるだろうか、大丈夫だろうか、矛盾がありながら自分を信じ、友を信じ一人歩み出す不安。
皆さんもこのような時期があったのではないでしょうか、今当にこのような思いをしておられる方もあるのではないでしょうか。
情熱だけの時代、だからこそ出来た友情。一緒に学ぶことは出来ても同じような理解度は持てない。同じように理解しても同じ立場には立てない。これが現実でもあるのです。
だからこそ友情は大事、信頼は大事なのです。何もないときに彼が、友がいたからこそがんばってこられた、自分は友より遅れても腐ってはならないのです、自分を腐らすことはせっかく築き上げた友情を駄目にし、学びも駄目にするからです。
もしも自分が後れを取ったら友を賞賛しましょう、賞賛するのは苦しいかも知れませんが、賞賛することが自分の夢の実現に通じるのです。それは自分を信じることでもあるのです。
年令を重ねても友は出来ます、賞賛することを知らずに過ごしてしまいますと今度こそはと思った夢さえも叶えることが出来なくなってしまうのです。
何もない時代、思いだけを強くし未来を描いていた時は固い友情に結ばれ、共有していたにも関わらず、夢が形や目に見えて来た途端に思いを共有できなくなるというのも寂しい事です。
友は喜びを分かつことが出来てこそ友、人生の岐路は必ず来ます。時に友を信じ、自分を信じ歩む、これからもそうありたいと蝉の声を聞いてありし日を思い出しました。
そんな悲しさや寂しさや葛藤があったからこそ自分の使命にも人様にも使命があることに気づかされました。
それから周囲の人がキラキラと輝いて見えるようにもなったような気がします。
昨日久しぶりに比叡山で師匠にお会いして一層感慨を深くし小僧時代の情熱が蘇ったようです。
明日は「にんげん学」東京講座、関東地区の皆さん暑い日が続いておりますが元気に出かけます、会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌