日本一の会・富士登山

おはようございます。

今朝も良い天気のようで一安心しております、第二十回・日本一の会「富士登山」、天候は人間の力では如何ともしがたいものですがやはり良いお天気であってくれればと願うのが人情。
「常に新たな目的を持って目標を達成する話し」。
私は比叡山下山後、毎年百日を一期として修行を行い、年末に一週間の「断食・断水・不眠・不臥」の行を31才から40才まで行じておりました。百日の行と年末の断食のための準備を残りの日数を費やすという一年。
その行にプラスして35才から40才まで毎夜50日33キロを歩く「懺悔連行」を加え行いました。
40才から後は形態を変え「五穀断ち(米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆)、塩断ち」を46才まで行い、そこに年一度皆さんと共に「日本一を目指そう」という事で、富士登山を行うことにしたのです、以来二十年、一度だけ中止をしましたが、続けております。
今は後世のために寺院設備の充実を目指し日々のお勤めが行だと考えております。
心華寺は心華寺の建立者の立てた「心に華を咲かそう」との理念があります、そこに感銘しての今日の私です。先代の理念を実行するために私は心華寺の理念を実践する為に自身の理念をプラスし理念を達成しようとしたのが「修行」です。
「修行は目標に達する方法」。
ですから会社で何か目標を与えられましたら自分なりの方法が大事です。どのようにしてその目標を達成させるかです。方法がなければ目的は達せられないのが道理です。
人生の目標を達成したいとは誰でも考えるはず、そのための行動力、行動力と為すには「知識、希望、忍耐、体力、気力、時間」等々が必要です。その中の一端を体感して貰おうと皆さんに提案したのが富士登山だったのです。
夢を持てば必ず日本一となることが出来るという体験、体感を富士山でという「単純で明快」な考えです。
今年は13名の方が誠澄と一緒に登山します、かつて私が一緒に登山したときには最初は4名、重ねるにつれ60名を越える方々とご一緒するというときもありました。
富士登山の素晴らしさは色々ありますが、私が一番とするのは「単純」なことです。「ただ登る。ひたすら登る。必ずトップに立つ」ということにあります。
日本一になるには「日本一の苦しさがある」、「日本一高い山から眺める景色は日本一だ」という「体験、体感をすること」、そして「止めなければトップに立てて目標に達する、そして下山後は又新たな目標を」という「単純、明快さ」です。
どんな事があってもこの「単純明快な精神で人生を貫く」という意識の確立。
体験、体感を潜在意識の中にアンカーし、打ち込むことで「やってやれないことはない」という「意識のプログラム」を作るのです。
ですから三回は登ってくださいとお話ししております。因みに私は10回登って誠澄にバトンタッチしました。
人生、辛さや苦しさは結局は自分で乗り切るしかない。
その事を富士登山の途中で思い知るのです。登山の最初は皆一様に元気ですから声掛け合い励まし合いながら登ります。一合ずつ進むにつれ高山病にはなるは、疲れも出るはで、誰も声が出なくなって来ます、しかし歩いている人がいる。
励まし支え合うことは出来ないのですが、他の人の歩く姿を見ることによって「支えられていることに気づく」のです。
直接の励ましはなくとも行動が励みとなることを知るのです。「直接援けられない、助けてもらえない」しかし歩いている、この姿を見るだけで「上り続けられる自分の心を知る」のです。
山登りは人生に良くたとえられます、現実の仕事や、人生で辛くなったり、苦しくなったりすることは必ずあるのです。
この時富士登山の体験、体感が蘇ってくるのです。誰しも余力がないのだ、という事実、現実を思い起こすのです。
安易に助けを求めるのではなく、自力で登ろうとする意欲がわき出て、達成するぞ〜というモチベーションとなるのです。
もうやめよう、もうやめよう、何度も何度も考えるのです。しかし周囲の姿を見ると歩いている、気力を出そうなどという意識もないのですが、歩けるのです。そして山頂に立ったとき自然に涙するのです。
ご来光を拝み苦しさに耐えて登ったとき又新たな光明の差す感動を知るのです。
自分が自分に感動している涙です、私は富士山頂を思い描きますと今でも感動で涙があふれてくるのです。そしてどんな辛いことがあっても続けることが出来ているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌