つまずかないために

おはようございます。

愛宕寺「月例幸福護摩祈願祭」お暑い中お参りお手伝いありがとうございました。ご一緒にお祈りいただき喜びでいっぱいです、感謝申し上げます。
お参りいただいた皆さんはそれぞれの心にご利益を感じ取っていただけたのではないでしょうか、来月もどうぞお参り下さい。心華寺の方では仏器磨きのご奉仕があったと誠澄からの報告でした、こちらもありがとうございました。
私のご利益は何と言っても皆さんとご一緒に祈ることが一番のご利益です。
益々厳しい暑さとなりましょう、お大事にお過ごし下さい。
「つまずかないための話し」。
一定の安定を得たにもかかわらず「つまずく、失敗を招く」という事態が生じる事をよく見聞きします。
原因は色々あるでしょうが、考えられる原因の一つに「慢心」、そして「分を越える、分をわきまえない」ことが考えられます。
誰しも最初から成功者はありません、社会の中では「段階を経て」周囲の皆さんの「力を得て」チャンスや地位を得ながら「少しずつ未来が開かれた」のです。このことを忘れてはいけません。
子供ではないのですから「自分の力だ」などという「思い上がり、独り善がりは厳に慎む」ということです。
そして成功者といわれるのは死ぬまで安定し「後継者を作ってこそ」です。
たとえて言えば杉でも檜でもケヤキの木でも大木となすには何十年、何百年も立ち続けてこそ人は見上げることとなるのです。杉は檜になりたいなどとは思わないから杉であったのです、人間もこれと同じく「自分の分をわきまえ伸ばすこと」が肝要なのです。
では成功へ導くための継続、持続を「力、継続力、持続力」とするには如何に在るかということです。
第一にやはり「感謝」です。人生を歩む上において、やる気、意気込みは「結構」なのですが、在る地位を占めたときに「自分の力でやった」、「何でもやれる」という「慢心としない」ことが大事なのです。「皆さんのお陰」と考えなければいけません。
人間には「パーソナルエリア」というものがあります。「分」のこと「自分」という個のエリア、能力の領域といって良いでしょう。力の及ばないところがあり、及ばないところは「皆さんの力で補って貰わなければならない」と言うことです。
「全体の部分、部分が全体」という真理。この「分の中でこそ使命を果たせる」ことを知るべきなのです。
これを「分を知る」ということであり、「分を越えない限りには」全体から「必要とされ」て「永続、継続が可能となる」のです。
このことを知り謙虚に歩めば「継続力、持続力と為す」ことが可能となるのです。
力は「人様のために発揮することで生きる、生かされる」からです。自分の欲のために発揮しますと「秩序、道理を乱す」こととなり「分を越え」自らを破壊してしまう「原因を作る」こととなるのです。これは歴史が教えております。近くでは商品の偽装での破滅、「反乱者」となるのです。
仕事で言えば「みんなに必要か否か」ということです。「自分の考えは間違っていない」というのではなく、「人様が喜ぶか否か」ということです。
自分の喜び(我欲)を追及しますと「人の分を犯すこととなり」、「人を害することとなり共存はあり得なくなる」のです。
そのことの現れが過剰な設備や投資をしてしまい、そして商品が売れない、売れ残る、仕事が上手く行かないのは社員が働かないからだという責任転嫁を平然と発するという傲慢さとなるのです。
人を敬い、天を敬い、物を敬う感謝、そして現在仕事の出来ている事への感謝が継続力であり、持続力であることを知るべきであるのです。知るとは行動することです。
少々昇進したくらいで慢心したり、一度のヒットで慢心したり、言葉にも行動にも慢心が出るようであってはならないのです。
明晩は「にんげん学」小倉講座、せっかく築いた人生を失うことの無いよう、にんげんを学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌