対処療法では難しい

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんお暑い中本当にありがとうございました。自分のためだと分かっていてもこう暑いといいかぁ〜となるのが人情でもありますが、それを押して出席いただいたことに感動しております。
相手がいる時といないときや仕事で無い時の意識は当然違います。ご出席いただいた皆さんが自分に真摯に立ち向かっている姿こそが真に自分を愛し、仕事では相手のことを思える行動を作っていくことになるのだと信じます。
「対処療法では駄目だという話し」。
しょっちゅう書いておりますが人生は先ず「自分のメッセージが先」、「私はこんな人間ですよ〜と宣言すること」が先です。これを「応対」といいます。
「こう生きるぞ〜」ということを持たず、「知識も技術も磨かずして」人様の要望、要請に応えられるか「対処できるか」と言えばそれは「無理」なことです。無理だというよりも「困難が待っている」だけといえます。
ですから「受け身、対処療法では困難が待ち受けているだけ」といえるのです。
よくチャンスがない、良い仕事がない、良い出会いがないという話を聞きます。もちろん「待てば海路の日和あり」という言葉もありますが、何を待っているかという「意識、待つ物」が無ければ待っていても意味がありません。
応対とは自分の「姿勢を示すこと」をいいます。
何故自分の姿勢を示すことが人生にとって大事かと言いますと、自分を「さらけ出す」ことだからです。さらけ出すことによって人様が「理解しやすくなり、役立ててくれるチャンスに出遭う」からです。
人間は失敗を恐れ、間違いを恐れるの余り行動を抑制し「己を隠し」てしまいがちとなり、修練もせず、習慣にもならずそれ以上に自分のメッセージを「悪く送ってしまう」ことをしてしまっているのです。
何ごとにでも真摯に立ち向かうあなたの姿勢を「さらけ出す」ことで人様は一層チャンスを与えてくれるようになるのです。
そんな簡単なことで上手く行くの?と疑問を感じますか、皆さん、それは早計です、上手く行くのです。
「こう生きるぞ〜」という姿勢とは自分を磨くということですから、そんな簡単なことではないことは皆さんはよくおわかりのハズです。だからこそ人様はチャンスを下さるのです。
人様からの要請で何ごとも直ぐ出来るなどということはあり得ず、それこそ慢心の何物でもないでしょう。人は何でも出来得るようになる可能性はあっても出来ることは限られているものです。
応対をしっかりしようという姿勢を持ち、そして対応がしっかりと出来るようにもなるのです。なぜならば仕事を下さるのは「あなたの得意な物、出来得るであろう物を下さる」からです。魚を買いに八百屋さんには行かないのと同じです。このことを知れば「己を磨く」ことに真剣になるはずです。
何ごとも順序、応対=対応です。
待っていても出来なければ恥を多くするだけです、恥を多くすれば又行動がストップするという悪循環があるだけです。
自分の行動を自分が行うということほど簡単でシンプルで大事、そして簡単だからこそ「まぁいいか〜」とならないことが大事なのです。
一?の世界が先に行けば行くほど大きな差となるからです。
対処療法も時には大事ですが、先ず自分の出来ることで社会の役に立つための自分磨きが肝要です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌