感覚

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんお暑い中ありがとうございました。日本中どこでもやはり暑いことです、来月も元気にお会いいたしましょう。来月は9月12日、体調には充分にお気をつけてお過ごし下さい。
名古屋駅も東京駅も大混雑、新幹線の車内もいっぱい、夏休みでガソリン高の影響でしょうか、又そのギャップでしょうか山手線が以外と空いているようにも感じられました、人間の感覚意識とは不思議なものです。
「五感を大事にする話し」。
五感(感性)は「目・耳・鼻・舌・身」の五つ、いつも申しますように五感の特徴は「心地よいものに惹かれる」です。外部との接触はこの感覚が意識より先です。感覚で捉えてそして考える。
ですから何も目標をもっておりませんと、この五感に大いに引きずられてしまう人生となるのです。自分の身でありながら思いのままにならない、不思議なことです。「意識より、感覚の方が強い」。
ですから「無意識の意識を大事にすることが大事」なのです。
「感性とは無意識である」。
感性・五感が無意識であるということを知りませんと、「自己コントロールするという自意識にもならない」のです。
無意識というのは無意識ですから「人として、どうすべき」かということとは「別次元の世界」でもあるのです。ですから昨今の事件等々は「人間の常識では捉えられない」のです。しかし「人間という本来の姿から見れば起こりうることが理解できる」のです。
人間が文明、文化ということを意識していない形成していない時代はすべて感覚的な生活をしていたからです。
いわゆる本能の赴くままの生活。
そこから進化して今日があるのですが、機械文明が発達することで、環境が悪い時代と同じような現象、環境が良いために人間的、社会人的思考をするよりも個人の感覚的な自分の善悪でしか行動ができなくなっているように私には感じられるのです。
この暑さの中でエアコンがなければ過ごせないのが現実。夏は暑い、冬は寒いという「常識は覆され」、今や「夏でも涼しいのが常識」ですから、わざわざ暑い中で何かをしようなどと思う人間が少なくなってきて当然といえば当然ではないかと思うのです。
子孫を思う、人を思う、思いやりで発展、発達してきた文明、文化。将来に於いて多くの人が感謝し、更なる貢献をしてくれるであろう事を夢見たはずなのですが、逆になってしまっている、何故でしょうか?。
それはやはり人間が正しく意識を保ち、正しく思考するためには教育を知識に偏らず、実践にて感覚に訴え気づかせる、如何に知識が大事かとの意識の裏付けが大事だということを証明しているように感じるのは私一人だけではないはずです。
「人としてどうあるべきかの教育」が「にんげん学」です。どうぞ皆さん人が生きる上に感覚、五感は大変重要な器官です、なぜならば外部と接触するのが先ずこの五感だからです。
その感覚器官で受けた情報で人生を過たすか、充実した人生と為すかは、「人として、どうあるべきかの思考を感覚を通して無意識の意識にすり込むこと」なのです。
明後日11日は「にんげん学」京都講座です、京都地区の皆さん会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌