矛盾を超えて

おはようございます。

「にんげん学」京都講座、お暑い中ご出席いただきありがとうございました。9月は1日です、今週末はお盆休みとなりますが熱中症対策をしっかりとして休暇を楽しんでください。又来月お会いできますことを楽しみにしております。
この世は非合理(不合理)、矛盾を感じることが多々あります。この非合理は感情、心のなせる業でもあるのです。
この溝を埋めるのはやはり「心」でしか埋めることは叶いません。
そのためにも「心学」を修めることが大切です、道理を修めてその上に「情、思いやりの心を養う」ことです。
「人間の器を大きくするためには矛盾を乗り越える話し」。
皆さんが矛盾を感じるときとはどのようなときでしょうか?、私は余り矛盾を感じるということは無いのですが、矛盾のあることは現実です。
皆さんが感じるとすれば「力関係」が一番多いのではないでしょうか。立場の違いで言葉が通ったり通わなかったり、理解できたり、できなかったりということです。
理屈、道理には反するのだが力関係で押し切られると考え、誰でもが反対の気持ちを持っていながら口に出せない、出さない、結果矛盾と感じていながらも指示に従ってしまう。
しかしこれらのこともある意味ではお互い様の世界でもあるのです。相手の立場なら自分もそうしたであろうという考え方も必要なのです。
このことを推し広げて「心を鍛える」こと「心を養う」ことが大事なのです。矛盾を感じたとき、自分が上に立ったとき周囲に矛盾と感じさせない生き方をするためにも。
矛盾を感じるのはやり方や方法の違い、行動の違い、言っていることとやっていること等々に矛盾を感じているのであって、相手の言語行動に矛盾を感じ取って、そのことでふてくされることが一番よろしくない、自らの行動をストップさせることが一番の愚かな行動でもあるからです。
聖徳太子は「我が是とするところは彼が非なり。彼が是とするところは我が非なり。」と達観した如く、「反論、異見はあるもの」なのです。
同じ物でも相反する側から見れば全く違った物に見えるのが現実であり、事実。道理は同じ物を学んでいてもそれを体得するのに違った感覚で体得、修得しているのであって、同じようにはしていないものです。
故に矛盾を感じたとしても自分が行動をしなくとも良いということにはならず、もしも行動しなければ逆に造反者、恥をかくという事態をも生じさせてしまうという結果を招く恐れもあるのです。
自身が行動しなければならないということは変わりはないのです。故に相手に言葉や行動で矛盾を感じ取ったとしてもそれを「包み込む大きな心を養う事が大事」なのです。
言葉や行動に引っかかって、自分の行動を停止してしまう、又争ってしまう愚をしないためにも「聖人の学・心学」を修めることが大事なのです。
社会は価値観の多様性の集まり。リーダーと為す者はそのためにも「修己治人の学」、己を修めて、人を治める学を身につける必要性があるのです。
又人を受け入れてこそリーダー、人の才を生かしてこそがリーダーでもあるからです。言っていること行っていることが違っても人には才の在ることには間違いがないのです。
矛盾を感じるとは意見の違い、方法論の違いでもあるのです。
感情を本当に感情として自分も人様も生かす事ができるように現実を止揚して行動することも大事なのです。
あるものをそのものとしては否定はしても、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。そして矛盾する諸要素、対立と切磋琢磨しその過程を通じて発展的に統一することこそが大事なのです。そのためにも己の志が大事であるのです。
物事は対立を超えてこそ矛盾を乗り越えられるのです。それでこそ人間が大きくなり、器を大きくすることも可能となるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌