できることで

おはようございます。

昨日は毎月の定期検診日、最近は体調も良く、御仏のお加護と信者の皆さんの温かい思いやり、そしてお医者さんのお陰と感謝するばかりです。
数年ぶりに体が軽く、軽やかに歩くこともできています。体調が思わしくありませんと気持ちまで落ち込んでしまいかねません、しかし私には日々の祈りがありますので落ち込むこともなく、現実をしっかり受け止めて迷うこともなく、歩んでおります。
「現実の中で最良の動きをする話し」。
関節リュウマチを患い、先ず改めて行ったことは先祖供養です。何百年前のご先祖様へも日々感謝の祈りを捧げるということです。
関節が悪くなったというのはつなぎ目であるご先祖様への供養をせよという啓示、お知らせではないかと自覚したのです。
そして祈ることを授かったという使命感を改めて感謝し、強く思ったことです。私は比叡山をお開きになられた伝教大師様へ憧れて仏道を歩み始めました。
得度(僧侶になる資格を得ること)を受けた時点で強く伝教大師様の使命を受けたのだという意識を持ちました。
そして平成10年に比叡山根本中道に一千二百年灯り続けております、「不滅の法灯」をご分灯していただきました。これは「奇跡中の奇跡」、私のような業績もなく、歴史もない無名の寺にご分灯いただくという事実は歴史上始まって以来のことだったからです。この時更に伝教大師様の遺徳を受け継いだという自覚を一層のものとしました。
体調が思わしくなくなったとき、私には使命が委託されているという強い思いがありましたので、絶対に病に亡ぼされない病んでも気を病まないという気持ちがありました。
私の人生に対する姿勢、「できることをやる」。
そんな思いの中で日々のお勤めもいすに座るようにして行いました。朝起き上がるにもままならない、護摩木一本持つことにも痛みがあり、紙一枚掴むにも痛みが走るという状態、しかしお勤め、お仕えすることを現実の体調不良の中で行えるようにしたのです。
体調が悪いからお勤めを休む、止めるということはもう人生を捨てたのと同じです。私の代わりはどこを探してもおりません、私の代わりはいないということです。
思い詰めてやったわけではありません、できることでお仕えしてきたのです。私を表面から見て患っていると話さない限りは多くの皆さんは分かりませんでした。
人生病むことばかりではなく、いろいろなことがあります、そんな時には落ち込まず、できることでやっていくことが大事だとしみじみ思っています。
一層御仏の教えの尊さ、皆さんの温かさに感謝をしました。教えは間違いがなく今日も祈りに心を込めて努めたいと思うばかりです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌