不自由を得て

おはようございます。

立秋を過ぎ日の出は少し遅くなり日の入りも少し早くなって朝夕には涼風も感じられるようになりましたが、お盆の今頃が一番暑い時期です。
帰省される方も多いのではないでしょうか、宇治の街も車が少ないような気がします。行き帰りの道中気をつけてお出かけ下さい。
「不自由に生きて自由に生きる話し」。
自由な人生を歩もうと考えるとするならば不自由をすることが一番です。不自由とはなにも真実不自由なのではなく、余り私的な時間を持たないということです。
修行をして良かったことは色々ありますが、プライベートな空間が無かったということが上げられます。
人間は無意識のうちにパーソナルエリア(個の空間、エリア)を保って生きています。これは悪いことではないのですが、パーソナルエリアの意識が強くなりますといわゆる「頑固、失敗を恐れるようになり、我を張る意識が強くなり、概念を破れず、新しいことに挑戦ができなくなる恐れが生じてくるのです」。
修行は合宿ですので、同じ空間に起居し、知能も、身体能力も様々な能力、人間性が「オープンな状態」となります。
修行の世界ですから知的能力、身体能力の優劣にかかわらず先輩は先輩、上下の世界です。故に一挙手一投足全てに於いて序列の世界ですから行儀と礼儀が要求されます。いわゆる「不自由な世界」。
このような情況の中で何が大切かといいますと「積極性」です。全て「自分のため」という意識で積極的な行動が「人間を形成していく」のです。受け身では毎日が嫌で苦になるからです。
自分のやること以上に師や兄弟子達の指示命令が多いからです。
何も修行の世界にかかわらず「覚悟」は大事です。この覚悟がなければ夢や目標を持っていても達することは不可能だとも言えます。
私は「能動的に動く」という覚悟を持って生活をしました。率先して誰よりも早く指示命令を聞き行動する。失敗成功に悩まず、なぜならば共同生活、合宿生活ですので、知的、身体能力はバレバレです、「隠しようがない」、隠しようがないのなら精一杯堂々とやる、これが何ごとの覚悟ともなったようです。
「過去は戻らず、未来は来たらず、眼前の今」。
積極的に不自由を行いますと「真の自由を体得できる」ことを覚ったのです。覚るとは「体解(たいげ)、体で知る」ことで、身につくということです。
自由を得たいと考えるならば率先して不自由を体感し、体解することが大事です。そのためにも「指示命令には率先する覚悟を持つ」べきだと考えています。
不自由を嘆いても自由は得られず、それ以上に潜在的に眠っている能力が目覚め開発されないことを惜しむべきでしょう。
また不自由の中から人様の喜びに貢献できることの覚りも得られました。
人生ままにならないと嘆いておられる方がもしもありましたら率先して不自由の中に飛び込んでみてください。
現実の職場でも同じでしょう、実力は周囲のみんなが周知しています、だからこそ失敗を恐れず積極的に行動すれば自由となるのです。そうすることで新たな可能性の扉も開かれていくのです。
能動的に行動すれば心の解放、自由がもたらされるのです。もちろんこれらは続けてこそです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌