ありがとうを知って

おはようございます。

ブログの最後に「ありがとう・心に華を咲かそう」と書いております、叡山から見ず知らずの宇治へ降りて来て、一人また一人とお参りや相談、研修に来ていただけるようになり、人様が来ていただくこと、話をしに来てくださること、ただそれだけで「ありがたい」の気持ちで一杯でした。
私という人間は誠に勝手な人間だと思い知ったときでもあります、自分が憧れて修行を始め自分のことだけを考えていたことを思い知らされたのです。
仏は「衆生の悩みを我が悩みとして修行されました」、衆生を導くために修行を為されたのです、私もそう思っておりましたが、自分のことしか考えずに修行をしてきたから人様の心が分からなかった、人様のありがたさが分からなかったことを思い知ったのです。
自分の存在は自分が確かにしていることで確固たるものを持っていましたが、やはり実際に会話し、人とふれあうことで人は喜びを感じるのです。
相手に評価して貰う、相手に喜んで貰うことはとても嬉しいことですが、それ以上に自分の目の前に人様が来ていただくだけで嬉しい、ありがたいと思えたことに自分が感動したのです、そのような自分の意外な気持ちにも喜ぶことができたのも不思議でした。
そしてブログや、皆様にご案内をさせていただくとき等々、折に触れて「ありがとう」という言葉を書き添えるようになったのです。
出会ってくださるだけで嬉しい、人様のために働けるだけで嬉しいと思ったのです、その上に役に立てることが嬉しいのです。又逆に人様に「ありがとう」を言っていただけることが最高です。
何かこんな風に書きますと格好つけているように思われるかも知れませんが、叡山下山から一年近く誰一人来なかった寺でした、本当に来てくださることが嬉しかったのです。このことは今でも忘れることはありません。
ですから自分の戒めのためにも「ありがとう」をお勤めを終えたときもお唱えするのです。
出会いから人様が自分の徳(能力)を引き出してくださることをしみじみと感謝、隻手音声(せきしゅおんじょう)を実感しました。
出会いはありがたい、縁はありがたいと素直に受け止め、功利的に考えずに人様を大切に、喜んでいただければと思うばかりです。
いずれにしても縁、出会いが世界を広げていくことは間違いのないところです。素直に出会いを喜び感謝したお陰で大きな展開がありました。
功利的に選んで出会いを求めるのではなく、出会いそのものに感謝すべきであると考えるのは私だけではないはずです。
朝一人祈ることが原点、一人孤独を毎日味わうことで出会いのありがたさをかみしめております。
お盆で故郷へ帰っておられる方も多いことでしょう、ご先祖様へ感謝の祈りを捧げてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌