行雲流水(こううんりゅうすい)

おはようございます。

一週間ぶり宇治へ帰り何か長いことどこかに出ていたような気もします。温泉に浸かったからかもしれません。湯治へ行ったわけでもないのですが、旅先の一こまが何か心境の変化を兆すこともあるのかもしれません。
「行雲流水の話し」。
行く雲の如く、流れる水の如く、修行する若い僧を「雲水(うんすい)」とはよく言ったものです。己を雲や水にたとえて、どこにも止まらず執着を起こさずに「精一杯生きる」、「その場その場で使命感を燃やす」、こうありたいものです。
人生の旅路は無心に働くことを何時の時か身につけないままに歩み出しますと、やはり「我欲にとらわれる」ようになってせっかくの才能を生かせないという事も事実です。
使命感に燃えるということは以前にも書きましたが「見返りを願わないという覚悟」でもあります。
人は喜びを覚えますと何時しか「自分の喜びを追及するように」なってしまう「我に陥る」ということもあるのです。喜びは「共に喜ぶ」ことで「喜びとしたいと」いう理想を持つことで「我欲に犯されない」ことだろうと思うのです。
私たちの人生の道中は必ず「道連れがあります」、道連れとは会社であり、上司であり、仲間であり、後輩であり、家族でありましょう。
道連れを多くすればするほど「思いやり、お互い様の精神が大事」です。この世は一瞬と雖も流れること休まず、過ぎ去っていきます。だからこそ精一杯見返りを願わず「己が才能を発揮しなければならない」のです。
我欲で衝突して「才能を発揮する場を失う愚を犯さない」ためにも、確かに流されて逆らうことの無いように「一日の中に使命感を感じて」歩みたいものです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌