祈りは美しい

おはようございます。

関東、東海地区の集中豪雨、被害に遭われました皆様には心よりお見舞い申し上げます。これまでにない雨による被害が各地で起きている情況を見ますと人ごとではありません、最小限に止める手だてを急がねばなりません、一日も早い復興をお祈りいたしております。
東京、愛知に沢山の信者さんや勉強会にご出席下さる方がありますので一層心配が募ります。
どうすることもできない故に心配が募ります。やはり祈りが大事だと思うのは私が僧侶であるからではなく、人間は愛する人と代わることができないことを知っているからこそ祈るのではないでしょうか。
「祈る話し」。
オリンピック開催中にもよく見られたシーン、選手の仲間の方やご両親が祈る姿、悲痛とも何ともいい知れない表情、自分が代われない、代わってもやることができない、しかし「祈らずにはおられない心境」、「美しい人間の姿」。
計画を立て、目標を立て確かに人生を歩んでも未来は常に不確定です。だからこそ「信じ祈る」。
生きていく上に於いて知識も学問も大事です。やはりそこに祈りをプラスすべきだと私は思っています。人生は順調に運ぶばかりではありません。順調に運んでいるときは自分も人をも疑うなどということはありません。
しかし何かのアクシデントで回転が停止するときもあります。時に責任を先ず外に求め、結果を求めなければならない情況に追い込まれたとき、自分の中に後悔が生じ、それが度を過ぎますと自分を怨んでしまうような事態にもなるのです。
祈ることは「常に未来を明るく見ることです」。
「失敗は一度や二度ではないのです、何度も失敗するのです」。
この現実を受け止めるのは「心でしか」ありません。受け止められない現実でも「受け止めなければならない時もあるのです」。
それを救うのが「祈り」です。
わが身を痛めることよりも友人や知人、身内の方や愛する方に何かアクシデントが生じた場合にはどうしようもないくらい「辛く苦痛なもの」です。
それは「代わってあげられない苦」だからです。
ですから朝に夕に祈るのです。未来は不確定ではありますが、祈りは常に「光明の世界を信じている行為」だからです。
お子様が学校へ出かけるときに背中に一日の無事を祈り、ご主人が仕事で出かけるときも同じように無事を祈る、また会社でも同じです。
祈りの「気は和気」、疑いの気を送らず、和気を送って上げればこそ「仕事も順調に運ぶ」のです。帰れば同じように感謝の祈りで迎えることです。
大切でかけがえのないお互いの人生、代わることのできない人生だからこそ、お互いに祈り合うことで無茶なことも無謀なことにも走らず、互いの期待に応えるべく信じた世界を思い合って歩むように自然になっていくと日々信じ祈るのです。
以心伝心、心は伝わるもの、疑気では無く、和気を以てお互いに静かに確かに祈り合いましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。              合掌