月の名

おはようございます。

長月(ながつき)、9月となりました。今月もよろしくご愛読下さい。
長月、趣があっていいですね、一月、二月と数を数えるのではなく、その月のイメージがハッキリする、どのようにすべきかもうかがい知れる、古人の知恵が毎月の月名に表れて嬉しくなり楽しくもなり、準備もできます。
「月の名の話し」。
重陽敬老の日、そしてお月見、お彼岸もある今月、風習、習慣は大切です。このような風土を大切にしていけば素晴らし人も育ち心が貧しくなろうはずもないのです。
社会にどんな風が吹くかで人は育つものです。今月はお月様が長く空に輝きます、明日を夢見て手を合わすこともご家族、お子さんと共に致しましょう、希望を失わず、明日こそはの心があれば自分を見失うことなどはないのです。
お彼岸ではご先祖様へこれまたご一緒に感謝いたしましょう。
現実生活で苦しいことや辛いことを感じたとき、ご先祖様もこのような苦しみを、辛さを感じ様々な文明遺産を私達のために残してくれたことに感謝の思いを馳せられるようになることも大切な心です。
自分だけが苦しいのではないということも分からなければなりません。
人間は自分が中心、一番大事です、だからこそ「人を思うこと」ができるのです、自分が中心だからこそ「忠義」という「思想」も生まれたのです。
誰しも自分が可愛い、自分が大事、このような思いだけであれば世は争いだけが生まれてしまうこととなるのです。この様相が現代は強くなっているのかも知れません。
忠義という考え方は、先人が自分が苦しんだ体験、経験に基づくことによって人間の叡智の中から生まれたのです。叡智とは「元々人の魂の中にあった知恵のこと」です。
自分のことだけしか考えなかったから苦しんだのだと「悟った」のです。
人は自分を客観視することは難しく、しかし人様を見る場合には客観的しかも冷静に見ることが可能です。
叡智と同じように私たちの魂の中には「人を愛する心があります」、そして「人を大切にする心も」です。
その自然な思いで「忠義」を尽くすことができるのも「人」なのです。義とは「論理を人様の為に用いること」をいいます。「我が事として行うことを忠義」というのです。
親は子を愛し、子は親を愛する、この愛する行為は何の見返りも望まない行為です。このことを社会に「敷衍」し広く大きくしていくことが大切なのです。
孝行の「孝」という字は「老プラス子」からできた字です。老の中の「ヒを取って子に変えた字が孝」という字になったのです。親は子を抱きしめ育て、老いては「子が親を背負う形」が「孝という字です」、喉元過ぎれば熱さを忘れるでは人生経験、体験から学ぶことはできません。敬老の日には一層の思い入れをして感謝すべきなのです。
自分が苦しんで人様の苦しみも理解できるのです。
自分の心に正直に対し考えれば「愛されたい、愛したい」という思いは強くあるはずです。私たちの感謝の心は「情愛、愛情」です。「情欲、欲情」ではありません。
愛情、情愛は「人としての純粋の心」です。「家族と、仲間とみんなで」という気持ちです。
情欲、欲情は「動物的」な世界、自分だけ、我だけということで、このことからは争いと波乱の人生が待ち受けているだけです。
今月も祈り、学び魂の中にある素晴らしい叡智を人様のために生かしていきましょう。今夜は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。              合掌