どうすれば、どうすれば

おはようございます。

何ごとも直ぐ良い結果が出ると云うことはありません、もちろん悪い結果も、このことは皆さんご存知でありましょう。
もしも現状が余り芳しくない状況であればあるほど「遠いところに目標を置くことが大事」です。そして状況が芳しくないと云うことを繰り返しているのであるとするならば「長期の目標がなかったから」と考えてみるべきです。
「何の為に仕事をするのか、使命感」です。
目標は遠いところへ置くことが大事です。遠ければよいと云うのではありませんが、目標は「長期、中期、短期」という風に分けられるように長期があって中期、短期の目標が立つのであって、長期の目標がないために現実の日々が何をやって良いのかも分からない、力を入れる術がないといっても過言ではないのです。
ですから能力がどんなにあったとしても目標がなければ学ぶこともせず、知識を高める必要もなく、技術も磨く必要性も感ぜず、もっと大事な準備すらできず、更に良くないのは姿勢、生き様を示さない、商売にたとえて云いますと、何を売っているのかさえ分からないのと同じで、自分の能力、人間性さえ示せないと云うことです。
このようでは日を追う事に現実に困る状況が来たることは間違いがありません。
「繁栄するためには「どうすれば」という思いが大事という話し」。
私たちの生命、能力は成長進化する潜在能力を秘めております。秘めてはおりますが成長進化するためには「障害、抵抗、要求(欲求)を感じる状況があるからこそ」でもあります。
例えば、お腹が空いてこそ「食べたい」という「意識、欲求が生じ、能動的となるが如く」です。
そこで「どうすれば得られるか」という思考がわき出てくるのです。
このとき子供ならいざ知らず、大人であれば「どうすれば」という思考が湧き出てこないようでは窮する道しかありません。この思考は食べ物にかかわらず全てに通ずることです。
お勤めをして入社当初から仕事は与えられます。与えられたとき「何故仕事ができるのかという自然で極々当たり前の疑問がわき出ないというのであれば非常に問題です」。
仕事をしているだけで何の感情も感謝もなく、仕事をしているだけで良いというのであれば倒産する会社も、困難に陥ったりする人もないのです。
「出社して毎日の仕事があるのは何故だろう」という「自然な疑問」、これは「人として当然の疑問でもある」のです。もしもこの疑問がないのであれば人としての心の中にある感謝という気持ちも湧き出でて来ないでありましょう。
この仕事をしていることで「生きていける、自分の能力を発揮し高められ、喜びを多くできるという感謝」です。
社会のお役に立っている、社会の方が必要としている「故に仕事となっている」という事に気づき、このことを「深め、広め敷衍」することが「どうすれば」ということであります。
この感謝の気持ちを「どうすれば、ということとしてあれば繁栄は自然、必然のこと」としてなって行くのです。
今日から一泊二日で約50名の「管理職研修」がありますので「どうすれば」の意識、使命感のお話しもさせていただきます。
明日は第一日曜日、心華寺の「月例幸福護摩祈願祭」、どうぞご家族でお参り下さい、ご自身の安泰はもちろん社会の安泰もご一緒に祈りましょう。遠方の方は午前10時からの法要ですので手をお合わせ下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌