心を信に置く

おはようございます。

心華寺「月例幸福護摩祈願祭」ご参拝ありがとうございました。残暑厳しい中共にお祈りいただき嬉しく思います。
皆様方に御仏のお加護が一層ありますことをお祈りいたします。
土、日曜と一泊二日の研修の皆さんお疲れ様でした、今日からのお仕事着実に目標を立て歩んでください、皆様のご活躍をお祈りいたしております。
「自信の話し」。
自信を持ってやる、難しいですね。私は自信はありませんが「教えに信をおいております」。これまでもこれからも信を大切に歩んで行くつもりです。
何の迷いもありません。
良く自信がない、というご相談があります、その時私は必ず先のように答えております。私も自信を持って歩んできたわけでは無いですよ、「信を心に保って歩んできたのです」と。
これからも自信がつくと云うことは無いと思っています。なぜならば日々同じ事象、現実ではないからです。常に新しい出会いの連続だからです。
だからこそ「信を保ち」続けていくのです。
「悲喜交々」。悲しいこと、喜び事は代わる代わるやってくるということです。これは一筋の道、同じ事をやることが仕事でもあり、人生でもあるからです。「一筋の道での苦労は苦労ではない」と考えてもいます。飛躍のチャンス、次に喜びがあるのだと捉えています。
悲喜交々でなければ人生「やる気も張り合いも何も起きないでしょう」。
山あり谷ありだからこそやる気も出て能力も開発されるのです。「窮すれば変ず、変ずれば通ず」です。悲しみや喜びがあればこそ「使命も生き甲斐にも」なるのであって、何もなければそのようなものも感じないのです。
失敗したから、間違ったから、叱られたから、結果が違った等々は誰でも落ち込みます、当然です。それは「感情が豊かで敏感だから」とも受け止めています。
失敗は何故起きるのでしょう、チャレンジからです、慢心からでもあります、学び、教えからではないのです、「心の隙(すき)に生じる」のです。
自信をつけるために、などという思いはしない方が良いですよ、というお話しもします。
ではどういう思いを持つべきかということです。
「自信を持つな」ということです。そして「失敗はするものだ」ということに「気づくこと」です。又「恥ずかしいという気持ちを大切にする」ことです。この気持ちこそ「やる気の元だからです」。
以前に何度も書いてきました、私は非常に弱い人間でした、「弱かったから逆らえなかった」。逆らえなかったから「従った」のです。
何に従ったのか「教えに」です。
失敗はする、間違いは起こす、だからこそ忠実に教えに従った、教えに信を置いたのです。このことを見て私を強い人間だと考えた方が多かったようではあります。
明日は「にんげん学」大阪講座「心の在り方、保ち方を」ご一緒に学びましょう。大阪地区の皆さん会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌