貫く覚悟

おはようございます。

今朝は久しぶりにご近所のIさんの助言を入れさせて貰いゆっくりさせてもらいました。昨晩夕食に招かれての話です、奥様手料理ごちそうさまでした、いつも美味しい手料理で感謝です、甘えて般若湯が過ぎたようです、あまりの雰囲気の良さに手酌で遠慮もなくたっぷりちょうだいしました。
行動が過激だと云うことで明日は東京講座で又出かけなければなりませんので少し甘えました。
寺で朝ゆっくりするというのはなかったように思っております、意識裏では起きてはいるのですが、まどろむのも良いものだという思いもしました、Iさんに感謝です。
事を起こして結果が思わしくなく、負けたと思うことはよくありません。真に負けると云う風に考えてはいけないということです。
事にチャレンジし失敗をして人生の敗北と考えるようでは覚悟が足りないと云っても良いでしょう。
事のならない原因の一つに「覚悟が足りない」ことが上げられます。
「貫く覚悟」。
人生を一か八かと一回限りのものとしてはならず、生涯の中で大切でない時間も、一日もありませんが、何かで失敗と感じて刹那的にこれで終わりと考え「一過性の怒りで全てを捨てるという愚かをしてはなりません」。
自分が「これで歩もう」と考え行動すれば結果は必ず出ます。そして結果までには必ず「プロセス」があります。結果が失敗や成功を明確に示していることは間違いがありませんが、過程が確かであれば成功となり、確かでなければ失敗となるのです。
方法という語がありますが、方は「ただす」という意味を持っています。方向を確かにして法を確かにすることを方法というのです。「法」は原理原則ですから間違いようがありません、それを使い生かすのは自分。その自分が状況や相手によって「方、ただす必要がある」のです、それがプロセスです。
法を状況や相手によって「ただす」ということを知らずして失敗に終わってしまい、「敗北と考えてはいけない」ということです。
事は絶対「成し遂げる、貫く」という固い覚悟がそこで大切なのです。
「法を確かなものとして」歩み、再チャレンジする、そうしますと先日書いたことと同じですが成功失敗を越えた「純粋さ、透明な心境に達する」ことができるのです。
そうすることで「貫く覚悟」ができあがっていくのです。自分の心と体を通して物事を行っていくのだという覚悟、行っていく為には「法によること」そして現実には「方、ただしながら」進めていくことを覚悟さえすれば、チャレンジする気力は衰えることは無いのです。
純粋に生きてこそ周囲に人は集まり来たるのです。自分の人生だからこそ迷わず、ぐらつかない「貫く覚悟」を持ちましょう。
明日は「にんげん学」東京講座、東京地区の皆さん待っていてください、楽しみに出かけます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌