現実から学ぶ

おはようございます。

昨日の朝はゆっくりさせてもらいました、皆様のおかげ何でも支えられています。しかし甘えてはいけないとも思いますし、甘えるときは甘えるべきだとも思っています。それもこれも日頃が大事なのでしょう。
「日常で鍛えられる」。
毎日誰しも生活し仕事をしています。そんな中、活躍の場を広げていく人があります。いろいろな人を拝見して何故人は違ってくるのだろうと見ています。
そこには一つの傾向を見ることが出来ます。何かと申しますと、「日常現実が鍛えてくれるという意識」です。
現実に問題が起きると「自分を疑ってしまう人」、「相手を疑う人」、問題を「格好の材料として進化を計る人」、この思いが違いとなるのです。
「日常の仕事で鍛えられるのだ」、という意識が大事だと云うことです。懸命にやっていればいるほど、夢を持っていればいるほどこの考えが大事です。
こう考えていきますと毎日が「試練」なのです。試練だと思わず仕事をしていますと問題が起こったとき自らを自らが傷つけてしまいかねません。「何故だ?という答えのない疑問に陥ることとなる」のです。
昨日は「方法」ということを書きました。「正すことを知らないと」、間違いを起こすはずがない、悪い結果など出るはずがないという固定観念に縛られることとなるのです。
現実で鍛えられることを知ってこそ「常の学びを真剣にできるようにもなる」のです。自分の心を学ぶことも大事、一つの観念という物差しを持つことも大事、何故かと言いますと相手を計り、「自分の考えとの違いを現実で知ることができる」からです。
そのためにも「心学」を学ぶ事も大事です。「最も身近な自分の心であり、最もとらえどころがなく遠いのが心でもある」からです。ちょっとしたことで心に引っかかり、気にかかって行動を停止してしまう自分なのか、試練と受け止めてステップアップしていく自分なのかです。
価値観の違う相手と出会ったとき「おのれを磨き鍛える動機付けとなる」ことを「心で知るべきなのです」、自分の本当の「意地を知るべきなのです」。
自分の心、意地を知らずして問題と感じただけでは学ぶ心も生じません。自分の心は、意地は「人を否定することではなく社会貢献することだ」と強く思えば、現実から学ぼう、現実で鍛えようとの「使命感ともなる」のです。
刃物を研ぐときの砥石は同じ砥石ではなく、粗い目の石、なめらかな石と変えて刃物を研ぎ上げていくが如く、私たちもいろいろな場面や状況に於いて磨かれていくのです。このような思い、鍛えよう、磨きをかけようとの思いを為すには「使命感、向上心、社会に貢献するという意志が必要である」ことにも気づくべきです。
今夜の「にんげん学」東京講座、楽しみに出かけます、会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌