彼岸法要

おはようございます。

今日は愛宕寺の「秋季彼岸法要」、ご先祖様への追善回向を修する法要です。心華寺は23日に修します。どちらも午前10時からの法要ですので是非お参りの上ご焼香下さい。
もちろん皆さんお家で日々ご先祖様へ篤い感謝の心でお仕え下さっておられることと思います。
我田引水ではありませんが、やはり何か特別な時にはお寺に依頼をして供養のお経をお供えするということが大事です。ご家族でなさることはもちろん功徳のあることですが、お寺にお願いして改めて更に功徳を積むことが一層ご先祖様やお子様達への功徳になるからです。
「分徳(ぶんとく)、徳を分かつ」。
自分でできることは自分で行う、このことはとても大切なことです。しかし「徳を分かつ、喜びを分かつ、仕事を分かつ営み」、この行いが「子々孫々の発展、会社の発展に繋がっていく」のです。分かつ喜びを知らずしては「共に歩んでくれる人は出ない」のです。
いつも書いておりますように、徳とは「能力」のこと。能力とは発揮しなければ、実践しなければ能力とは周囲の人は認めることはできません。実践行動してこそ示すことができ周囲の人も理解、認めるのです。
私たちの能力は両親を縁として授かりました。その能力が学びや鍛錬によって磨きがかかり又更にいろいろな縁に出会うことによって開発されたのです。そして大いに社会の中で発揮することができて行くのです。
その事に報恩感謝することが先祖供養なのです。そして「わざわざ」お寺にお願いをして追善の供養をすることで、「社会の方々の縁によって開花ができた事への感謝」、その「心を形に示し、行動を示すことで」お子様達やお孫さん達へ、多くの方々の「お陰なのだよ」という行動を示し教えることで、「独り善がり、自分だけできればよい」という考え方ではない「心の涵養、感謝の大事を示す」のです。
ご先祖を敬うという「核」を以て、核を失うことなく、核を中心として外へ外へと盤石の広がりを為していくことを可能とすることが「先祖供養」なのです。
分徳とは、「分かち合う喜び」ということです。「分けていただいたという感謝」がありませんと、せっかくご先祖が築き上げた事業、お仕事の継続が為されないことは言うまでもないでしょう。
喜びを二人で分かてば喜びは二倍に、百人で分かてば百倍という如く、喜びを多く分かてば、分かち合う精神を多くの人に持ってもらえるようになるのです、「共有する精神が会社や家庭の安泰の基礎となる」のです。
自分の力だけで何でもできると考え、あっという間にご先祖が残して下された財産を失ったという話はよくあることです。
これらは全て自分の力だという思い違い、感謝の無い生活から養われた結果です。
一つの仕事を多くの人と共に分かち合う、分かち合う人が多ければ多いほど会社は事業は大きく繁栄するのです。
自分に授かった徳という能力を多くの方が活用下さるようになる第一歩が「先祖供養である」のです。一人の能力、一つの仕事を「分徳」すること、分かち合う喜びを感じるほどに繁栄は必然となるのです。
お金を目の前にしますと、突然に執着を起こし、分かち合うことができなくなる人が出ます、これは一重に子供の頃に、言葉を発しないご先祖様へのお供養を教えられていなかった、又親が自分がやっているから良いのだという、独り善がりの結果でもあるのです。
多くの人の支持を得て利益を上げてきたにもかかわらず、お返しをご先祖様にするという感謝の思いに至らない結果でもあるのです。
ご先祖を敬うという核(中心と為す心)を忘れてしまいますと、「外の世界に心を閉ざし」、周囲の人の動向が気にかかり、自分の喜びばかりを追及するばかりに「己を見失い」、徳をも失っていくこととなるのです。
徳を分かち合い、喜びを分かち合う感謝をみんなで行うことで、周囲の人も感謝を分かち合えてみんなで支え合う会社、家族を作っていくこととなるのです。是非ご先祖の供養をいたしましょう。この行為の中には「分かち合う」という最も社会の中で大切な「継続の魂、精神がある」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌