仕える

おはようございます。

愛宕寺「秋季彼岸法要」ご参拝ありがとうございました。ご先祖様もきっとお喜びなられたことでしょう。何よりも大切な義務を果たされお仕えになられた皆さんが一番安心なされたのではないでしょうか。
ご先祖様へすべきことをする、為すべき事をなす、このことができることほど安心はありません。
自分が為すべき義務を行うことができたことで、社会での仕事の義務も責任も自然に無意識に果たせる自分が完成されていくのです。無意識に課題を果たすことができる人間性が養われ培われるのが不思議です。
多くの人に無心に仕えてこそチャンスを多くするのです。
「仕えること」。
人偏に士、これを仕えると読みます。字とは不思議ですね、不思議というよりも「ありがたい」と云いますか、「指針、方向が示されている」。
言葉一つを「心に保てば迷うことのない人生の展開がある」からです。
このことが私にとって学ぶ嬉しさです。
士は「事を処理する能力のある者」のことをいいます。
この「能力で技術で知識で仕えるぞ」、ということであるのです。ただ漫然と仕えることを仕えるとは言わないのです。
漫然と仕えるから迷うと言っても良いでしょう。
単純に生きる、ということも先日書きました。仕えることは単純明快であればあるほどいいのです。単純明快に生きることほど楽で安心な人生はないからです。
「一つのこと」で人生を極めようとすればその事に「一心になれて、間違えばそこを修正すればいい」ことだからです。
そんな簡単に人生はいかないよ、との反論があるかもしれませんが、ではあなたは何を以て仕えようとしておりますか、いかがでしょう。言葉に反論することはこれまた簡単です。
リーダー、起業された人を見ますと、あれもこれもとやって大きくなった人はいないのです。人と競争して大となった人もいないのです。「一つのことを極めてなった」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌