急がない

おはようございます。

ゆっくりと進む台風13号の豪雨でこのたびも被害が沢山出ました、心よりお見舞い申し上げます、言葉もありません、しかしめげずに復興に力を尽くしていただくことを念じております。
私たちの人生も目標を定めましたらじっくり、ゆっくりと歩むことが大事です。
「事を急がない」。
「子夏、莒父の宰と為りて、政を問う。子曰く、速やかならんことを欲する無かれ。小利を見ること無かれ。速やかならんことを欲っすれば、則ち達せず。小利を見れば、則ち大事ならず。」(論語第十三「子路篇」)。
意は「子夏が莒父の村長となった時、政治の仕方を質問した。これに対して孔子は、急いで治績を挙げようと考えてはならない。又目先の小さな利益だけに目を奪われてはならない。事を急いで速やかに治績を挙げることばかり考えると、必ず手抜かりを生じて、真に物事を達成することが無く、又目先の小利に目がくらむと、大事業の完成することがない、と教えた。」。
この教訓は家、会社、国を治める実状について見れば、一々肯けるのではないでしょうか。
今日、人が短絡的になったと云われることの原因がこのような教えに接する機会が少ないことにも原因があります。
私たち大人(リーダー)は人々を導くという使命があります。大人になるということは誰かに指名されたからリーダーになるというのではありません。大人になればリーダーになるのだという自覚をしなければならないのです。
人として「どうあるべきか」という自覚です。
どうあるべきかということは、先ず己を修めて然る後に人を治めることが「在るべき姿勢」です。
先日も書きましたが今日の人は「人を責めすぎです」、親から大人から、先生から指導的立場にある人全てにそれは云えることです。
「人は情で動きます」。心が離れてはいくら正しいことを言って指導しても「批難にしかならず、百害あって一利なし」となるだけです。
子供が学校のテストで悪い点数を取ってくれば「責める」、社員が何か問題を起こせば「責める」。これでは「心が離れても仕方ありません」。
責めることを「愛情と勘違いしているから」責めてしまう。責めることで「正せると思っているから」責める。これは大きな見当違いです、見は「見解」、価値観です。
責めることで正す、良い方向に導けるという価値観でいますので責めることとなるのです。愛情があるからといくら思っていてもこれは大きな見当違いなのです。
見当違いとは何故云えるのでしょう。それは結果から責められますと責められた側は正しい言葉には「反論ができず、反発しかならない」からです。悪かったことには反論はできないのです。
結果を悪くしよう、点数を悪く取ろうなどと子供でも考えず、大人でも結果を悪くしようなどとは考えてはいないのです。しかし悪かった。
ここで大人、リーダーは何を思うべきでしょう。結果を見て「何ができていなかったのかを的確に判断し」次への「指導すべき箇所をハッキリできたと捉え、次に生かすべき」なのです。
こうすることで「心は離れず」一層「絆が強まる」のです。
リーダーは「急いではならない」のです。自分を修めることであれ、人を導くことであれ、良い方向へ持って行くことこそが使命なのだということを確かにしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌