不自由を生きて

おはようございます。

昨日はさわやかな秋晴れ、気持ちのよい1日でした。今朝も気持ちのよい朝です。今日は秋分の日、お彼岸のお中日、午前10時から心華寺の彼岸法要、皆さんからお申し込みいただきました回向供養をご参拝いただきました皆様とご一緒に心を込めて修します。
明日は愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」明日の法要も皆さんとご一緒、午前10時からです、こちらにも是非お参りください。
「不自由を自由と思う」。
物事の道理がわからないときは自由が欲しいと願っていました、何で世の中とはこんなにも不自由なのだろうかと思っていました。この思いは家の中や子供時代は特に強くあったようです。
しかしよくよく考えてみますと、今日では不自由こそ一番の自由であることが理解できます。今では率先して原理原則に従って不自由を楽しんでいます。法則に従えば夢の実現がかなうことを知ったからです。
若い頃は見聞きして、ああなりたい、こうもなりたいと頭の中で物思いにふけっていざやりたいことに挑戦してみてもいっこうにうまくできない、わからないことばかり、結局は放り出す。
勉強や教えを受けたこともうまくいかないために常にチェックを受けおもしろくない、いっそう教えてもらうことを避ける、反発して教えてもらいたくとも聞けなくなる状況を自分で作ってしまう。
大人になって何を気づくべきでしょう、「真我(しんが)」です。真の我(われ)、「本当の自分」です。
見聞きして「こうなりたい、ああしたい」という思いは自身、真実の我(われ)、真我が思ったのです。この「自分の思いに忠実になること」です。我は消すこともできず、だますこともできないのです。自分自身を偽ることができない、何人も犯すことも揺るがすこともできないということです。
「真我に目覚めましょう」。
道理に沿うことに目覚める、道理という「型にはめることに」目覚めることです。道理という不自由に従ってこそ真の自由になるのだということです。
我は犯すことのできないもの、故に真我に目覚めなければ何事にも不自由を感じるだけ、反発するだけなのです、なぜならば「誰からも犯されたくない」というのが「我の正体」だからです。
自分に正直であるのに道理に沿った不自由に目覚めななければ「悔い多き生涯となる」ばかりなのです。
「真実の自分になることができるから」こそ「犯されない存在」なのです。
この真我を大事にすることが道理に沿って不自由に歩み自由を体現できるのです。辛抱とか努力とかもいりません、何者にも犯されない真我に目覚めれば自分の目標、「なりたい」と思ったことへひたすら歩めるのです。
不自由だと考えている皆さん、自由を得ましょう、そのためには真我に目覚め、道理という型にはめることです。
不自由感を持ち続ける人生としますか、それとも一時の不自由を体感して真の自由を得る人生としますか、選ぶのは皆さんです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌