一緒にすることで

おはようございます。

愛宕寺「月例幸福護摩祈願祭」ご参拝ありがとうございました。お護摩はやはりいいものです、毎日修するお護摩もいいですが、皆さんがご真言を唱えてくださる中で修するのは格別です。
毎月添え護摩祈願をたくさんの方が行ってくださいます、皆さん御利益をいただいて下されているからいっそう続けて添え護摩祈願をなさいます、すばらしいことです。
煩悩、災難を焼き払い心願が聞き届けられ天空に上りまた幸福が天上から舞い降りてくる実感がわき起こってきます。来月のお参りもお待ちいたしております。
「一体感を体得」。
修行世界に入っていろいろとすばらしい体感、体得をしましたが、中でも「協調、協力を無心にできる」ということが特にあげられます。
叡山を下山して言葉以上に周囲の方々との協力協調ということの大事を実感したからです。
協調の体感を得たのは多くの同僚との「読経」です。多くの僧と一緒に読経をする、読経を行うということです。
協調は同調と天地の違いがあります。どのような違いかといいますと、同調はただお経を読んでいる、合わせて読むということです。そこには自分の意志がなく、「みんなと読むから読んでいる」というだけのこと「その他大勢という意識」です。存在感の意識がない、「個が全体、全体が個、一人が全体、全体が一人」という自覚がありません。
協調は何人いても「自分はここにありという意識があり」、先達と一緒に唱え、一緒に唱えている人に「意識的に合わそうとする」のです。それも精一杯の声を出し、精一杯の気持ちで唱えるのです。
意識は先達(リーダー)になっていないときの意識が大事です。なぜならば私たちはリーダー、先達を目指しているからです。またリーダーを目指さなければ何事の向上もかなわないのです。
リーダーを目指さないようであっては「まねぶ、学ぶこともできない」からです。学ぶ心がないから同調はしても協調ができないともいえます。
協調は「合気、気を無意識に合わす、気を察する」という対人関係、最初の出会いで相手の気を察するという意識にもなるからいっそう大事です。
出会いの一瞬で長くおつきあいができるか、いい出会いとできるかの分かれ目、ポイントともなるのです。
先達の声、木魚、太鼓の音に合わせて唱えるという意識が無意識となり、この無意識が新たな人様との出会いの時の「無意識の呼吸となる」なるのです。
協調しようという無意識は相手に「好感を与える」のです。相手の意識の中に「無意識に飛び込める」こととなるのです。これが体感、体得のすごさなのです。
お一人でお経をお唱えすることはすばらしいことはいうまでもありませんが、多くの人と共にお唱えする功徳を体得して新たな出会いをする中で長くおつきあいができて繁栄する元としてください。
無意識に協調できてこそ信頼の輪が広がることとなるのです。「人様との一体感を感じることほど人としての喜びはない」のです。私はこのことを実感しております、ですから多くの人と協調、協力ができればと出会いを大事にしているのです。
明日は「にんげん学」小倉講座、ご一緒に論語を音読して協調する無意識をはぐくみましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌