共有感

おはようございます。

昨日はすばらしい秋晴れの1日、車窓から眺める山の景色も色づき始めたようでした。「にんげん学」一宮講座を終え外に出ましたら夜気の心地よい冷たさが講義でほてっていた体をいやしてくれました。
ご出席の皆さんありがとうございました。11月は6日、日ごとに寒さを増してくると思われます、お大事にお過ごしください、来月も又お会いできますことを楽しみにしております。
「共有感」。
私たちの意識は深いところではつながっております。なぜこのようなことがいえるかと申しますと、このことは様々なことで日常的にも体験していることですので理解できることと思います。
たとえば、車は便利だということは皆さん承知のことです、ですから多くの人が車を所有している。このパソコンでも同じ事で便利で役立つことを知っていますので多くの人が活用しているのです。
ですから共有感と改めて言われなくとも皆さん共有していることが多くあるのです。
こう考えていきますと何がわかってくるのでしょう。
「感じる」ことで共有している、共有感となっているということです。理解しているのではなく「感じた」ことで手にしようとして、手に入れているわけです。
手に入れたいと感じるのはなぜでしょう、それは実際の現実や生活、仕事に役立つからと感じてのことです。
そこで大事なのは「感」とは「心、意識」だということを理解することです。
そしてこの「心に素直になる」ことです。
「誰にでも共有感はある」ということを自覚する。誰にでも「意識するしないにかかわらず共有感は潜在的にあるもの」だということを自覚することなのです。
ここで共有感を感じる自分は「何で感じたのであろうかを自分に問う」ことです。
便利、役立ついろいろあるでしょう。そこから「自分の生き様、姿勢とすべきことが見えてくるはず」です。多くの人に役立ててもらうことが「繁栄の糸口になる」ということです。
自分の心を信じ、周囲の人の心を信じ、自分を磨くことで「あなたの持っている、知識、技術、その前に人柄を」多くの人に共有してもらえるようにすることが可能なのです。
人は誰しも喜び多く、楽しい人生となしたいと考えるのは当然なことであります。「人の喜びを我が喜びとする共有感とすれば」一層自分のあり方が明快に見えてくるはずです。
人も自分も「共に共有感を持てるということは望外の喜び」なのです、それを忘れず人生を歩みましょう。理解して欲しいと考え悩むよりも理解しようと夢を持つことが人生に大きな転機をもたらすのです。
次回の「にんげん学」は大阪です、大阪講座は7日(火)、大阪地区の皆さん万障繰り合わせてご出席ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌