恥を知る

おはようございます。

昨日の朝はホテルでゆっくり目覚めお陰様で体がすっきりしたようです。東京への行き帰りの新幹線は満員状態、帰りの新幹線は時間を間違えて乗りいったん品川で降りそこで一時間時間待ちをするといううっかりミスをしてしまいました、ゆっくりしたのは良かったのですが頭が未だ目覚めていなかったようです。
昨日から三連休の方が多くあるのではないでしょうか。ゆっくりとお休みください、又この連休を趣味に興じる方も多いことでしょう、大いに楽しんでください。
「恥じる」。
昨今の経営者や上司の方の中に「叱りすぎ」を感じるときがあります。甘やかすことはいけませんが「責めすぎはよくありません」。何故かと申しますと修行中や学業中はいざ知らず、ほとんどの人は「一人前と思っているから」です。
叱ったり、責めたりしても「反感を持つ」のが「人情」です、叱り方を誤ってしまいますと「やる気を無くさせてしまいかねない」のです。
私は「にんげん学」講座を通して「恥じる心を持って欲しい」と念じています。怠慢を恥じ、貧を恥じ、不徳を恥じ、積極的に仕事をしないことに恥じ、協調しないことを恥じる等々です。
いくら叱られてもこの「恥じる心がなければ反省はない」のです。ですから自ら恥じて率先して行動するような人間形成をして欲しいと念じるのです。
「自分を作る」ことを私は常としています。人間は「作られる、作るもの」と考えているからです。「どうなりたいか」ということです。
自然のまま放っておいては動物として成長しておしまいという結果しかありません。
人は人として成長し、人として存在し使命を果たさなければなりません。そのための学問であり、修練であり、錬磨であるのです。
そこで「事上磨練(じじょうまれん)」に目覚める、気づくことが大事です。
日常実践、現実の中でこそ「人は磨かれる」ということに目覚めることです。
この真理に目覚めますと現実での失敗で「気落ちする」ということが無くなり、「気づきに変えることが可能となる」です。
「気づきは精神を強くする」。
愧(はじ)は「行動しないこと」です。慚愧(ざんき)の心、これは「心の恥じらい、行動の恥じらい」を云う言葉です。
知識として持っていながら行動しないことをいいます。
失敗しない人間はおらず、つまずかない人間もいないのです。しっかりと目覚め実践行動してこそ人間が完成されていくことにきづきましょう。
行動しない人よりも積極的に行動し失敗した人を「人は認める」のです。
恥は自分持ちです、恥じる気持ちを大切に、失敗して落ち込むのは慢心です。心配しないで行動しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌