終わりそして始まる

おはようございます。

昨日までは三連休、今日から今週のスタート、1日少ないですが、これは誰しも同じ条件ですからこれまでの準備で違いが出ます。今週も確かに歩んで参りましょう。
寺では今日から二泊三日の中堅研修がありますので余りよい話題のない昨今ですから仲間意識、同志意識を強くするようなお話をしようと考えております。
一日、一週間、一ヶ月と時間の決まり事があることによって自分の実力をはかることが出来ます。昨日の話ではありませんが、自分を知ることが出来ますので「決まり事は大好きです」。
「何事も終わりがあり、そして始まる」。
一日、一日の決着をするというのも私の一つのあり方です。一日を曖昧にしないということです。何故かと云いますと必ず一日が終わるからです。
楽しいことでも楽しくないことでも一日の決着はつける、次に引きずらないことが大事だと考えるからです。引きずりますと発想が後ろ向きとなります。
一日の決着をつけるためにはやはり一日の予定、スケジュールがしっかりしていなければなりません。これがないと決着どころか何も得ることもなく、力を発揮することさえ出来ないからです。
ただ漫然と時間を過ごしたとしても何も得ることが無く、それ以上にあるのは堕落だけです。
予定を立てることも出来ず、行動もなく、頭の中の欲望だけの知識を巡らしていたとしても自ら決めた行動がなければやはり堕落と焦りしか生まれないのです。
頭の中で理屈をこね回し日々の予定もなく、なすべき事もせずにおれば知らず知らず言い訳と理屈だけが成長し、精神が後退、退化していくこととなるのです。これは恐るべき事です。
それは人に甘えている、周囲に甘えているだけのこと、自分の理屈が理屈ではなく屁理屈だとも思えないからです。このようであっては次第次第に自分で自分の首を絞めていくこととなるのです。
このようにならないためにはやはり一日の決まり事を決め、予定を立てて行動することでしょう。予定を立てられないのであれば「真摯に従う」ことです。
従うことで一日の決着をつける、このように「自分の精神を高く保てば」これまた予定を立てるのと同じ事となるのです。
以前も書きましたが私は発想が貧弱でしたのでこの「従うを徹底」しました。
そうしましたところ自分を管理できるようになった、自己管理ができて「次に何をしたらいいのか見えてくるようになった」のです。いわゆる予定を立てられるようになった、準備が出来るようになった。
何もしないで一日を過ごしても終わりがあり、予定を立てて精一杯過ごし、予定通りにいかなくとも自分の力を尽くしたことで決着をつけ、そこに非力を感じ、次への準備と為す、そこで又新たに何をなせばよいのかが見えてきて引きずることが無くなるのです。
一日を確かにして終えると云うことは気分が爽快なものです。そして新たな明日がくるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌