ある人の話

おはようございます。

今日は心華寺の「月例幸福護摩祈願祭」、午前10時からです是非お参りください。
行楽シーズンですので昨日からの連休でお出かけの方も多いのではないでしょうか。祈りの行楽もいいものですよ。
研修生の皆さんも懸命に取り組んでおります。
今日は信者さんのお子さんの話を少々、(今では40才を過ぎていますが)就職した頃にこのような話をしてくれたことがあります。
和尚さん、「会社ってありがたいところですね、たばこを吸っていてもトイレに行っていても沢山給料をくれる、すごいところです、こんなんでいいのでしょうかと」。
どうですこの話、本当の話です、今では彼は管理職になっています。
「信じる」。
彼のご両親は長年篤い信仰をし奉仕も率先しております。何事でも先ず祈る、それから事を始めるという具合です。このような両親ですから彼も篤い信仰心を持っておるのは当然です。
良いことがあれば仏様のお陰、悪いことが生じれば信仰が足りない、という次第です。
「一心頂礼十方法界常住三宝(いっしんちょうらい、じっぽうほうかい、じょうじゅうさんぽう)」、という仏様を礼拝しますとき唱える文がありますが、実生活の中でこの文の意味のごとくに彼は生活をしているのです。
意味は私たちの生活している世界には常に仏様がおられるのだということです。
ですからいつも守られている、出会う人出会う仕事全て仏様が与えてくれたのだという思いが彼にはあるのです。故に全て尊敬の対象なのです。
先ず疑わない、そして信頼、知らないことがあれば直ぐに尋ねる、そして出来るように学ぶ、率先して困難なことや人のいやがる仕事を行う(慈悲の実践)、
出世のためや給料の上がる為などという考えで仕事をしない、可能性が開かれるチャンスとしてチャレンジする。
このようなことを会社の人や同僚に話すわけもなくこのことは彼の信念としてやっていることなのです。
大学時代に就職活動時に相談にきて、どこに行けばよろしいでしょうかと三社ほど会社案内を持って相談にきて、彼の能力や性格を観て現在の会社を薦めたことを思い出します。
何のためらいもなく素直に従って現在まできており、非常に親孝行でもあります。
親孝行は安定の基本でもあります。仏に仕えるように素直に親に従い、そして素直に社会の先輩や上司に仕える、それも素直に何のてらいもなくです。
このように書きますと何かくそまじめな人間のように思われがちですが、何の何の全く現代の壮年、快活そのものです。
信じることは自分の想像以上の出会いやチャンスがもたらされるのです、ですが彼は当然与えられたものとして慢心はしないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌