自然に溢れる

おはようございます。

昨日は冷たい雨がしとしとと時折降り、あぁこうやって季節がやはり確かにくるんだと私の部屋から見える桜の葉も知らない間にずいぶんと色づいたなぁ〜と眺めておりました。桜と同じように季節を繰り返し年を重ねていく、どのように私自身色づいているのかを考えると楽しみでもあります。
まあしかし自分であり続けるしかなく、前を向いて精一杯精進しいい色になることを信じ生きたいと思っています。
学ぶことは希望を失うことが無いのがいい、としみじみ思ってもおります。自分だけが味わう、それが時には人様のお役に立てる、そして喜んでいただけるときもある、学びに感謝です。
今日は第二日曜ですので「水子供養祭」、七五三のご祈祷もあり、お子さんの確かな成長をお祈りします。その前に日課護摩をしっかりと修します。
「いつしか溢れる」。
一つのことを歩み続けようと決心して磨き歩んでおりますと、コップの中に水を入れ続けると水が自然溢れ出すように、磨き続けますと隠しようもなく人間性はあふれ出るのです。
水があふれ出しますとそれを必要とする諸々のものが自然と周囲に集まってくるのです。これが「摂理」です。そして知らず知らずのうちに貢献できている。
集めようとしなくとも集まってくる。摂理のすごさ、不思議さです。いつも申しますように学問は「普遍性があり」何人にも生かされるからです。
何をやっても上手くいくのは鍛錬のたまもの、精進のたまものです。
ですからやはり「継続」は大切なのです。知ったらやらない、出来るようになってしなくなるではあふれ出ることもなくなり誰も集まってこなくなるのです。集まってこないのはよしとしても去ってしまうこととなるのです。
ですから継続が大事なのです。知るとは「継続を知ること」でもあります。続ければ「かなう」ことを心底知ったらやめられないはずです。
もしも途中でやめたとしたらそれは「自身の喜びとするまでしなかった」ということです。
人の為と書いて「偽(いつわり)」と読みます。口では世のため人のためと言っておきながら磨き続けることが出来ないということは「自分自身に自分自身が偽りを言っていた」事となるのです。
自分が自分であるための学びをすることが大事なのです。明日は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお待ちいたしております。自分が自分であるために心を学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌