断つ

おはようございます。

寒くなってストーブが活躍しています、お勤めは寒さが少しあった方が緊張感を増して好きではあります、着る物も少しずつ厚くなってきました。
今朝の空は刷毛でなでたような雲が星明かりで神秘的で吸い込まれそうでした、良いお天気になりそうです。
「何かを断つことも」。
今弟子の誠澄が「五穀断ち塩断ち」の修行を行っています、もちろん生臭物もです。行は専心に行ってようやく悟り得るものがあります。物事はある心(執着心)を「突き抜けてこそ」周囲に惑わされることなく専念できるのです。そうすることで不退転の不動なる心が潜在意識の中に完成するのです。
物事は二つ同時に出来ません、このことは皆さんもご承知のはずです、ですが?あれもこれも?という欲張りなのが私たちです。故に「二兎を追う者は一兎をも得ず」となるのです。
修行は率先して積極的に「あるものを断つことに意義を見出しています」。そして「一つのことをクリア〜してから次へ」という「心のシステム作り」でもあるのです。
私たちは何かをしようと固い決意をして事に臨みます。しかしこの固いと思われる決意が意外と「もろい」のです。
何故かと申しますと以前にも書きましたように「感性の為せる業(わざ)」です。感性は開放しています、オープン状態だということです。ですから感性の好む物に出会いますと「惹かれるのが自然な行動」なのです。
この心理を理解していて私たちは行を行じるのです。穀類を断ち、塩も断ち、味付けを断つ。野菜や穀類以外の食物を味付けなしで食べる、そのものの味(命)をいただくと言うことです。これは正直美味しいと思いません、故に欲が食べるということをしないのです。
食物その物をいただくということです。ですから体が必要以上の物を要求しなくなる、必要以上の物を欲しないという状態となるのです。
故にこの修行を行いますと本能が欲に惑わされなくなり、真実体が欲する量だけを取り入れるようになるのです。
小欲知足(しょうよくちそく)、欲を少なくして足ることを知るのです。
私は「大願、心願をお持ちの方に」日参り、週参り、月参りを勧めます。
何故かと申しますと、新たなことを行うということはこれまでのことを何か断つか、時間を創るかしてお参りしなければならないからです。
従来やってきたことを断ち、時間を都合することで真実の物が見えるようになるのです。これは先に書きましたように「欲に惑わされなくなるから」です。
修行は理屈ではなく、実践です。実践するからこそ体得するのです。
率先して断つことによって逆に日常のことに集中する自分も自然できあがるのです。いつでも出来る、いつでもやれるという意識からは行動とはならないのです。
今夜は「にんげん学」京都講座です、都合云々を言わずに積極的にご出席ください。
一つお知らせ、7月の「大般若転読会大法要」チャリティ歌謡コンサートへ出演下された「北川大介さん」が明日火曜日夜8時からのNHK「歌謡コンサート」へ出演されます、是非ごらんになって応援してあげてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌