矛盾を超えて

おはようございます。

今朝はえっと思うような見事な満月、古代中国に杞(き)という国の人が落ちてこないかと心配した杞憂というのは間違いがないのではないかと思えるほどのお月様です。
人は思い通りにはならない、これが相場です。しかし分かち合って欲しいと願うのも私たちの偽らざる心情、気持ちです。
「矛盾を矛盾として」。
私は人様と接するとき理解する前に先ず「認める」という意識で接しています。
認めるという意識を持って接しませんと結局「心を通わすことが出来ない」と考えるからです。
理解しなければという意識の中には「否定の意識が無意識に入っている」のです。結果(和)を求めるために「会っている」ことを忘れているということでもあります。また直ぐ最初から事が始まることの方が少ないのです、ですから先ず「認める」。
この認めることがなければ相手も認めてはくれないのです。
人様とのお付き合いはそんな簡単な事ではないよとおっしゃりたいと思いますが、簡単でないから明快にする事が大事と思っています。
先ず自分の出会った目の前の人を認めなければ自分の「存在そのものも自分が否定している」こととなるからです。
心の中に何か矛盾を感じたとしても先ず認める、人との行き違いは「感情」です。その上で理解を超えたつきあいが始まるのです。そして理解出来る可能性がふくらんでくるようになるのです。
人間を物と比較して例えるのは恐縮ですが、道具や、機械は使いやすい方を使うのは無意識のことです。
この事実は物や機械を理解しての行為ではなく、認めた結果の行為です。人もこれと同じとは言いませんが、似たところはあると思っています。
やはり最初は感覚的に人様と接するわけですので、以心伝心、認めて出会う人と、理解してからでなければと疑いの意識を持って出会うのとでは違って当然です。
先ず認める、それを生き様としてあれば自然理解が深まり、又認め合い、次第次第につきあいも深まっていくのです。
人様と価値観が違えばこそ「生かし合える」のです。違うという矛盾を超えてこそ大きな仕事ともなっていくきっかけにもなるのです。
理解しなければという呪縛を取り払い、先ず認めるという出会いの方法もある事を知ってください。友達の輪が広く大きくなることは必定です。
認めることで自分より偉大な人との出会いの機会も増えるのです、理解できなければという思考からは自分の「能力の範疇でしか出会いはない」からです。
このような考えからでは自身の新たな可能性すら自から閉ざしてしまうこととなりかねないのです。周囲には偉大で能力の多才な人が溢れているのです。
先ず認めましょう、そこから常に新たな一歩が始まるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌