周して比せず

おはようございます。

各地から雪の便り、本格的な冬到来、今朝も冷え込んでいます。しかし人生を歩む中に於いてはどんな厳しい時でもほっとしたり、安らぎを覚えるときがあります。厳しいときこそ人様の暖かさや優しさを感じるものです。
不思議なもので人の温かさを本当に感じられるのは何かを目指し困難なことや困窮する事態が生じたとき人様のありがたさがひとしお身にしみます。
「できることから」。
私がこれまでに歩んで来られたのは「出来ることをやる」ということでした。「自分が出来ること」、これは人様と比較して「出来るできない」ではなく、自分の中で、自分が出来ることと「気づいた事で」です。
論語「為政第二」に「子曰く、君子は周して比せず。小人は比して周せず。」とあります。
意は「孔子言う。成徳の君子は、たれかれの差別なく、ひろく公平に交わって、決して偏頗(へんぱ)な交わりをしない。これに対して、徳の修まらぬ小人は、偏頗な交わり方をして、ひろく公平に人と交わることが出来ない。」。
私は君子という字義を「目指す者」ととらえています、学者さんはこのような取り方は誤っているといいますが、悟った者として君子を定義づけるのではなく、実践する者として私は定義づけていますので、あえて目指す者としています。
人生は生涯にわたって人生です。途中まで、ではありません、死を迎える瞬間までです、何も堅苦しく考えているのではありませんが、このように思っています。
人間は先ず自分自身に対して「誠実でなければなりません」。「自分に嘘をつかない」ということです。
ですから「出来ることはできる、出来ないことは出来ない」と自分に正直になることです。自分に正直になれば「人様に対しても正直になれる」のです。
自分に正直に生きませんと人との交わりを公平に出来なくなるのです。なぜならば心の中に「差別感を作る」からです。話の合う人とはお付き合いをするが、合わない人とはつきあわないという風にです、これが「比」です。
自分に正直になりますと「周」となり公平無私となり誰彼の差別なくお付き合いが出来ていき「学びを多くする」のです。
何故でしょうか、答えは歴然としています。徳(自分の才能)に誠実だからです。自分に誠実に対していますと自分より優れている人と出会いますと尊敬し、同じような人や例え自分より劣っていると思えるような人と出会っても「共に」という尊敬の念が又わき出すからです。
人生は先に歩んだり、従ったり、これが共に歩むです。
徳に目覚めれば「まねぶ、学ぶ」ことができたのは多くの先人達がおられたことへの感謝の念が強くなるからです。先人があったからこそ今の学びが出来るのです。
ですから「自分の出来ることで生涯を歩む」ことがかなうのです。今日まで私は私の出来ることで人生を歩んできました。そして「周して比せず」として歩むという論語の語にも出会えたのです。
自分に正直で無ければ、自分を否定し、見栄を張り、言葉で飾り、結果人を欺けたと錯覚をし、学びもせず、進化もせず誰にも受け入れられず、現実をも否定して人生を破滅に導いていたことでしょう。
上を見ればきりがなく、下を見てもきりがありません、しかしそのような比する人生ではなく、自分の出来ることに磨きをかけて未来を思考して歩むことであれば楽しみを多くし確実に進化していくのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌