やめない

おはようございます。

人生は全て自分のためです。自分のために真摯に生きてこそ人様のお役にも立てようというものです。自分の人生を自分が喜んで歩まずには人様は魅力とは感じないのです。
喜々として自分の人生を歩まずして自分の方を見て欲しいと願ってもそれはどだい無理というもの、自分のためと言っておきながら精進しない、これでは自分が自分を欺き人様に嘘をついているといってもいいでしょう。そのような意識では人様の心に響く道理はないのです。
それ以上に自分を評価して欲しいと考えていながら精進しないようでは人間的魅力どころか人生を貧しく生きるということになりかねませんので要注意です。
「已(や)むべからざるに於いて已むる者は已まざるところなし」(孟子)。
「にんげん学」京都講座と大阪講座は現在孟子講義です、その孟子の中に、
やめてはならない所でやめる人間は、何をやっても中途半端なことしかできない、という意味が先の言葉です。辛抱のしどころ、我慢のしどころというものがある。
孟子はまた、こうも語っています。
「厚くすべき者に於いて薄くするは、薄くせざる所なし」。
念を入れてやらなければならないときに手を抜く人間は、何をやってもいい加減なことしかできない、というのです。
人生には、何度か正念場があります。ここで踏ん張らなければ、せっかく今まで築いてきたものを失ってしまうとか、あるいは、そこを乗り切らなければ、新しい展望が開けないとか、そういったときです。
このことは修練や学びの時に最も気を入れて行わなければ実践の場にあったとき無意識に逃げとなるのです。
これは「自身が内面で感じる世界、あるいは誰も見ていないと思っている世界」、「自覚の世界」です。
自分が逃げたい、という状況、ここを突破すれば、大きな自信につながり、人間的にも一回りも二回りも大きく成長することが出来るのです。
それが出来るかどうかは「意志力」の問題、「自分のためを強く思っているか否かの意志力」です。自分との妥協ほど人生を堕落させることはないのです。
普段から強い意志力を鍛えていないと「力とはならないのが力」です。思いはあっても力と為せないのは「已むべからざるところで已めてしまう」からなのです。
そして自分で自分をごまかす、自分に言い訳をする、その上、人の所為にもするという「悪因が二重にも三重にもなり」結果苦労をしていても実らないのです。
辛抱が誰のためでもなく自身のためでもあるのです、夢、志を持てば持つほど乗り越えなければならないのが自分の「心」でもあるのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、本年最後の講座です会場でお待ちいたしております、「心学」は学び続けてこそです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌