挨拶

おはようございます。

今日は下関、愛宕寺におります。午後2時から「年賀式」で、信者の皆さんと新年の挨拶を交わします。
「挨拶」。
挨拶はいいですね、どなたとでも親しくなれる「きっかけ」となる。そして「親しき仲にも礼儀あり」、親しくなればなるほどこれまた挨拶、礼儀は大事です。
挨拶は人様と自分の違いを「ハッキリさせる」、ここに意義があります。
いわゆる「人格を認める、尊重する」ということです。
ですから挨拶が出来ないということは違いも認めない故、尊敬心も生まれてこないということであります。
人様を認めず、尊敬心も持たないというのでは自身が人としての存在、社会人としての存在を自ら否定しているということにもなるのです。
家にあっても社会にあっても挨拶は大事です。挨拶を交わすことで「心が開かれ」そして「相手の心の中にはいることも、自分の世界に入ってもらうことも出来る」ようになるのです。
私は人様が大好きです。大好きになった一因は「孤独に修業をしたこと」にあります。
好きになってくれといっても人様は好きになってはくれません、しかし「好きにはなれる」のです。
私のいいます好きとは尊敬心です。何故かと言いますと人様が多くのことを現実に教えてくれるからです。
嫌なこと、苦しいこと、失敗、成功、楽しいこと、美味しいこと、学ぶことの素晴らしさ、仕事の楽しさ、物作りの楽しさ全てです。
これらが「挨拶一つ」で学ぶきっかけを作ってくれる、このように考えれば人生意気揚々です、教材が周囲に溢れている、そして挨拶一つで世界が広がっていくのです。
だからこそ挨拶は大事にしなければなりません、惰性になって挨拶だけですましてしまわないよう言葉を交わした以上期待に応えるということが「言葉に重きを持たせ、行動に信を得る」ことになるからです、「言行一致」。
挨拶は挨拶だけのものではなく、次へのステップアップのためでもあるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌