一つ良いことがあれば

おはようございます。

一昨日定期診断に今年初めて行ってきました。お陰様で痛みも減少して自由に行動が出来ています。
数年前には動くことも手足を動かすことも痛みでままならず、心の中で痛い、痛いと叫んでいました、寝ても熟睡できず、しかしこの一年お陰様で薬の副作用の心配はありますが痛みは取れて動けるのがとても嬉しくありがたいことです。
「良いこともあれば悪いことも」。
何事も二つ良いことはありません、悪いことも同じです。一つ良ければ何か一つ悪いことがある。悪いことが在れば何か一つ良いことがある、これが「物の道理」。
しかし道理で分かっていても現実の感情はそれを肯定できないのが現実です。肯定できない自分であればそこで行動が停止、ストップしてしまうのが人生です。
痛いときには大いに痛がる、悲しいときには大いに哀しむ、そして現実に対処する、痛みの強かった最初の頃はお勤めも休んでいましたが、ある時停止しストップしている自分が前向きでなく、現実の痛みにとらわれ、マイナス思考に陥っていることに気づいたのです。
人間は未来志向が本質であることに改めて気づいたのです。若い頃の修業時代に行半ばで続けられないと考えたら「死ね」と教えられ「死出紐(しでひも)」、首をつる紐を渡されたことを思い出したのです。
死ねとは自殺するのではなく、「生き抜け」ということです。苦しいならば苦しいままで続けよ、ということです。続けて行ぜよということです。
それを思いだし、痛い中で痛い痛いと言いながらお勤めをやりだしたのです。
下着を着るときも手伝ってもらわなければ着られない、靴下も一人でははけないという状態の中で、今までに見えなかったものが見えてきたのです。
本当の信仰心です、苦しいからこそ御仏が側にいるということが実感できたのです。確固たるお姿が自分の目の前に現れたのです。人様のありがたさも身にしみました。
このことは内証のことですから、皆さんには信じられないかもしれませんが、苦しみと痛みの中で動けない孤独感が心の中に御仏の姿を実感できていったのです。
痛さの中でお勤めもせず、痛さに甘えて過ごしていたならば現在の快復は無かったと思うのです。
祈ることがいかに人生を豊かにするのかを還暦を過ぎて「生まれ変わったときに」御仏が病を与えてくださったのだと今では感謝しています。
皆さんも何か苦しいとき辛いときがあったときには、辛い辛い、しんどいしんどいと声に出し、そして今現在やっていることを停止せず、ストップせずに在れば必ず光明が射し道が開かれることを信じましょう。
一つ良いことが在れば、一つ悪いこと。一つ悪いことが在れば、必ず一つ良いことがあるのです、それもこれも「続けてこそ」であります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌