三毒

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席ありがとうございました。孟子の性善論、人間を善と見なし接する、大切なことです。価値観が多様だからこそ己の価値観をただしていく、善なればこそ出来ることです。
私たちの心は「善悪共存」しています、それは人を「理解するため」です。何事も理解せず、否定から入っていったのでは「争いしか生じない」からです。
平和が私たちの本能、そのためには先ず「理解し合う、理解する」ことです、否定からでは何事も始まりません。
理解して欲しいという考えではなく、先ず理解しようという「仁」。3月も9日(月)です、又お会いいたしましょう。
三毒が人生を蝕(むしば)む」。
三毒というのは「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」の三つを言います。貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)。
すなわち、「むさぼり、いかり、おろかさ」の三つです。
人生のわざわい、有為転変、人生の浮き沈みは、ほとんどこの三つの毒で説明がつくのです。道を誤るのはたいていこの三つ、三毒が原因なのです。
欲は私たちの身に備わった本能です。ですが何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、過ぎたる貪欲は身を過たす本となるのです。
欲があって成績を上げる、出世をするということはよくあることです。この欲を「我欲として」争いを招き、破滅に導くのではなく、「共存共栄という大欲、志まで高め」目覚めることです。
大欲、志まで高めることに目覚めることが無ければ「瞋、怒りを多くする」こととなるのです。何故かと言えば、欲で地位や立場を得て、大欲がなければ我欲ですから、事が「思い通りにならなければ」瞋(いか)りしかないのです。
腹を立て、怒りを振りまき、己を破壊し、人をも破壊していくのです。
それらは皆道理をしらない「おろかさ」から来るものです。権力を握ったり、少しの立場を得たりしますと我欲の余り、道理を無視して、物知らずとなり、周囲が見えなくなり、何でも己が言うままになると思いこんでしまう「おろかさ」です。
私たちは日々の読経に必ず「懺悔文(さんげもん)」を唱え戒めとします。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)、皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)、従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)、一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)。これが「懺悔文」です。
意は「われら衆生(もろびと)無始(むかし)より。
貪(むさぼ)り瞋(いか)り痴(おろか)にも。
造(つく)れる罪業(つみ)の数知れず。
身(からだ)、語(ことば)と意(こころ)もて。
誤(あやま)ち犯せる所なり。
今無上尊(いまみほとけ)の前にして。
残らず一切懺悔しつ。
乞い願わくは一切諸仏(ほとけ)たち。
已(すで)に造れる罪障(つみ)は消滅(け)し。
自他衆生(われらもろびと)ことごとく。
清浄(きよ)き仏道(みち)にぞ精進(いそ)しまん。
従今以往(これよりのち)は大慈悲の。
護念(まもり)の業(わざ)を仰がなん。
更に防遮(すくい)を垂れたまえ。」
この文を日々読経時にお唱えして戒めとし誓いとするのです。日々唱えることで魂の奥底に染み渡り三毒が大いなる薬と為し共に共存共栄していく大志とするのです。


世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌